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自立、自立と言っちゃいるが、港が無けりゃ自立は無理だ。無理じゃなくても、極めて困難、いばらの道。
子供が事件起こしたなんて話聞くたびに、思う。
俺の子も紙一重だった。俺自身だって。
ヒトは帰る港が無きゃ、どこへ飛んで行っちまうか分からねえ代物だ。
偏向のねえ港。まるごと看てくれる港。泊まっているだけで、気持ち修復してくれる港。
愛情って奴だ。
これほどありきたりで困難なものは、この世にゃねえと思ってる。
海より深い愛情。
俺は一生、こいつ探して来たようなもんだ。
誰のために? まずは自分のために。腐った自分解体し、真っ当さ掘り出すために。
その間も子は育ち、親父は不完全なまま子は育ち、子の力でどうにかやってる。
紙一重は何度かあった。上の子も下の子も。
死ぬまで続くさ、これからだって。
闘争ってのは実は、自分との闘争なのだ。
愚物の自分との闘争。
変革の社会思想なんてのは、せいぜいこいつの最後の副産物に過ぎねえ。
自分との格闘のねえ思想なんてのは、嘘っぱちに決まってるのだ。
数十年前の「若さの闘争」がほとんどすべて嘘っぱちだったのは、こいつによってる。
ヒトに一番大事なのは、港を造ること。
自分を、自分の否応ねえ分身としての子を泊める港。
こいつ真っ当に築けなきゃ、エセの港はまたぞろ出来る。無限の愛装う港が。ニンゲンなんぞ鼻もひっかけねえ者達の、したり顔で吹聴する港が。護る気のかけらもねえ者達の「子供を護れ」の大合唱で。現に出来つつある。「何やら心」の合言葉のもと。
闘いはまず、何を措いても自分との闘いだ。
こいつ棄てた豚共に加担したくなきゃ、闘うしかねえ。死ぬまで自分と。自分のための共和の旗掲げて。