沈黙の意味 その三


 人間ってのは弱えもんだ。

 どうしても神を欲しがる。自分に命令してくれる根拠。納得させてくれる根拠。


 俺はガキの頃、神社が大好きだった。裏山の神社の鳥居、お守りに書いて持ってた。小学1、2年の頃だったか。不安だったってことだ。

 不安って奴。こいつは心の空虚、がらんどうからやって来る。俺の心はがらんどうだった。振り返ってもよく分かる。


 がらんどうを埋めるもの。こいつがとにかく大事なのは、いつの時代も一緒だ。


 こういうのを嗅覚で知る支配者共は、イワシの頭でも何でも、使えるもの持ってくる。


 近代化の明治手製の上昇の仕組みから、真っ当に落ちこぼれた無頼派の一人、雪国親父の安吾は言った。「支配者にゃ、使えるものは何でもよかった。釈迦家でも孔子家でもレーニン家でも。なり得なかっただけだ。天皇家以外」。


 俺が裏山の鳥居お守りにしたのは、天皇家とは何の関係も無かった。あたりめえだけど。

 俺は裏山が好きだった。気持ちが和んだ。神社なんてのはとりわけ。抹香臭え死者の臭いの寺なんかと違い、あっけらかん。乾いた陽だまりがあった。縁先に寝転びゃ、古板は陽の匂いがした。


 どっかの馬鹿がぬかした「天皇中心の神の国」。こいつは土着の素朴な神達を、体よく取り込む仕組みだ。


 1969年だったか。はっきり覚えてる。俺は高田馬場茶店にいた。「知者」予備軍の左翼系と。ニッポン思想のお勉強会。


 俺は俺の体験をこいつらに言った。奴らは鼻で笑った。「キミの話だと、左翼天皇制もありってことだね」。


 想像力欠き、お墨付きの言語ばかり戴く「知者」・クソ学生。昔も今も変らねえ。「ああそうかもな」。言って終わった。



 腹ん中じゃ小馬鹿にしてるもんも平気で祀り上げ、邪魔になりゃ平気ですげ替え。支配者共は平気でやる。支配のための実効力。こいつ嗅ぎ分けて。昭和の爺さん、「言うこと聞かなきゃ殺されると思った」とか。祀り上げられるもんの本音だろ。


 こんな見えみえの、がらんどうの仕組みでも、ぶっ壊すとなりゃ膨大なもんが要る。イワシの頭の根源を、ニンゲンの心の弱さの根っこを、小馬鹿にしねえで実存でたどり、救い出す。真っ当な日々の暮らしの中で。先ずは自分のために。このプロセスだ。


 『村の家』ってのは、転向小説だ。転向ってのは何だ? 一口に言や、アタマと体の乖離。ここから生じる七転八倒だ。

 こいつと真っ当に向き合わねえことにゃ、「知的」にゃ小馬鹿にして済ますイワシの頭にさえ、絶対勝てねえ。こいつは過去の歴史が、現在が証明してる。「頭悪い民衆の素朴な心情」にすら迫れねえ、あぐらかく「知性」。ほんまもんの人生の入口で眠り込んだ、ぶら下がるだけの豚。


 沈黙の意味。こいつは一口に言や、口先で、持ち上げられた言葉で誤魔化すなってことだ。そうじゃなきゃ絶対にたどれねえ。弱さの根源は。神の正体は。