愛情とは闘争でもある―なんて気の利いたこと言う柄じゃねえが、どうにもそんな感じだ。


 どこか弱さと裏腹の傲慢臭う感じの、下の子との闘争。

 愛の鞭? 馬鹿言っちゃいけねえ。自分への鞭さ。こいつは。


 闘争―こいつはだから、先ずもって俺との闘争だ。


 許しちゃいけねえものがある。ならそれは何を措いても、自分に先ず許しちゃいけねえに決まってる。上っ面、オウヨウな許容の形とる迎合。こいつが嫌なら闘うしかねえ。先ずは自分と。傍からはバカな親子喧嘩に見えるだけだろけどね。


 俺はこの手のことにゃ、嫁さんは巻き込まねえ。上の子=娘も巻き込まねえ。俺自身との、そういう俺と息子との闘争だ。


 結果がどうなるかなんて分からねえ。分かるわきゃねえ。


 俺がくたばってからでも全然構わねえさ。分かるんだとすりゃ。


 感傷でも何でもねえ。一義的にゃ、相手への期待の闘争じゃねえってこと。何より先ず俺の人生実存―こいつに関わる闘争ってこと。そこにおいて関わるべき息子との闘争ってこと。こんなもん、もちろん絶対臭わせやしねえ。