沈黙っては、無意識の世界感じるのとイコール。


 こいつは昔の人はよく知ってた。


 若い頃、俺は薩摩の西郷さん好きだった。他人尊敬するのはよくねえって気付いてやめたけど。今だって嫌いなわけじゃねえ。


 わが胸に尋ねるべし。こいつよく分かってた人だ。
 

 学問・儒学の上っ面性よく分かってた。島流しになって暇つぶしに塾開いた時、島の子に言ってた。上っ面の金看板なんかあり難がらねえで、暮らしの中で探り当てな。


 こういう男が割り食うのが、がらんどう思想掲げるがらんどう国家の常。本人気にしちゃいねえだろけどね。周りの景色・交換価値で思想すげ替えるような男じゃなかった。


 無意識の世界との交感。別に不可思議めかす話じゃねえ。体感するってこと。自分を。自分の全体を。


 人間ってのは、うまく出来てると思ってる。誰の身体にも備わる五感、六感。こいつ虚心に感じれば、割と容易に自分の根拠に行き着く気がする。虚心ってのがミソだけどね。アタマに振り回されるなってぐらいのもん。


 こいつはどこまで行っても、自分の身体の問題だ。心ってのは、心が感じる真理や正しさの感覚は、五感、六感のバランスが生み出すもんだと思ってる。良心の在り処って言ってもいい。


 陽明学の「致良知」なんてのと一緒。


 別に陽明学の発明品じゃねえさ。ヘンにアタマでいじくり回さなきゃ、暮らしの中で自然に身に付く要素、態度。

 でなけりゃ真理な訳ねえさ。特定流派の思い込みってだけで。西郷さんよく分かってた。その辺。


 こういう思想・感性核にしねえと、やっぱり駄目だ。一見どんなに理想主義臭くっても。実効性薄そうでも。まるでねえのとあるのとじゃ、大違い。永え時代の流れの中じゃ。


 俺が共和制言うってのは、こういうことさ。ヘンな神持って来んな。わが胸に尋ねろ。地球のどこにも転がってる、ニンゲンの感性脱落させるなってね。