俺の家は、嫁さんの稼ぎの方が多い月が多々ある。というか、そういう月の方がずっと多い。

 実入りはどっちもケチなもん。両方合わせてやっと暮らしてる。


 嫁さんは暮らしに、俺の金優先して使う。俺の金だけじゃ暮らせっこねえから、毎月俺の金は全部消える。

 俺は、余った金にゃ口出ししねえ。余るとすればだが。

 古臭せえ言い方だが、それが嫁さんへの仁義と思ってる。



 俺は、女の金当てにする男はクズだと思ってる。実質当てにしてる俺に、言う資格ねえのは承知の助。


 九州の奴にゃ悪りいが、俺は男振りかざす「九州男児」ってのはでえ嫌えだ。仕組みとつるむ建前臭が強烈にするからだ。「教育勅語」ってのも、実質熊本辺りの発祥だろ。


 それでも俺は、男ってのはあると思ってる。生物として。こいつは俺の経験だ。

 女ってのは無防備だ。子生む時期は。子育ての時期は。

 この時期護るのは男でしかあり得ねえ。社会が子育て? ありゃせんよ。そんなもん。


 これは男と女の暗黙の契約だ。体内、無意識、遺伝子に組み込まれた―。

 俺が建前の「男」でえ嫌えってのは、役割に過ぎねえものを「優位性」に持ってくからだ。


 男なんて虚しいさ。子は育てたら終わり。子育てのため(だろね)、生命力格段に上の女にゃ、ヘタすりゃ捨てられる運命。子育て済めば。


 だから男の方なんだろね。建前作るのは。虚しさの自分お手盛りするため。

 この虚しさが男の出発点じゃねえかと、俺は思ってる。建前等々持ち出して虚しさちょろまかさねえで。正面から見て腹据えて。


 威張る根拠もねえ。女の金当てにもできねえ。そんなもんだと思ってる。


 共同参画だから女も家に金出せや。こんなのは形変えた建前、男のクズと思ってる。どんなに貧乏こいててもだ。