二十代の頃、俺はあちこち行った。

 バングラの餓鬼んちょ達とサッカーした。


 パプアで南十字星初めて見た時ゃ、感激した。でっかい流星流れてた。サンゴの海、空から見た時ゃ、こんな海見ながら藻屑と消された奴もいんたかと泣けた。


 クフ王墓の天辺に登った。イスラエルじゃ、地雷原向かって餓鬼のように石投げた。死海の水は、今もフィルムケースの中。


 子供ってのは不思議だ。親父の後なぞるようなとこがある。口にゃださねえけど。

 似たようなとこ行ったりする。

 なぞり尽くして自分の道。ずんずん進めや。黙って見てるぜ。生きてる間は。


 上の子は大阪が気に入ったよう。違和感ねえってのも不思議。三つまでしかいなかったのに。

 この頃唯我独尊の下の子も、乗っかる人生は送っちゃいねえだろ。火の粉は自分で。腹づもりありゃ文句は言わねえ。


 老人医療だって? 「お金無きゃ、死ぬだけよ」と嫁さん。

 その通りさ。払った銭は返えしてもらうが、つゆ思わねえぜ。面倒見てもらうなんて。


 最高の医療? ふところの範囲で見てもらい、あとは寿命とあきらめるさ。たいていの者はそう思うだろ。開かれた社会ならね。仕組みや精神が。実相は不完全でも。


 いつの世も、誰が他人の面倒なんて。幻想さ。体制得意の。

「タダ」ほど高けえもんはねえってだけの話。


 世の中矛盾できしむのは、恩恵垂れるふりしたがるからだ。人民から吸い上げた金で。自分の懐から出すふりの仕組み。これが「国体」。



 すがるふり。被害者面。こいつは恩恵と対。どっちも国体必要ってことさ。新旧左翼、労組、上昇の仕組みの中、ええかっこしいだけだった学生運動、腐った豚の庶民づら…。末裔わんさと。


 俺が共和制言うのは、自己責任って奴。いっ時流行りの。

 これ徹底させたきゃ、行き着くしかねえぜ。これに。

 一方でお前の責任。一方で恩恵・支配者づら。そりゃ無理ってもん。物理的に。だからポケット空っぽだろ。生産性にゃつながらねえさ。ずるシャモ達の絡み合いじゃ。

 

 金無きゃ、力なきゃ死ぬだけ。

 こいつは体制、国体の本音だべ? そうさ。ねえ袖振れねえさ。すたこら逃げた関東軍。泣かされた奴の末裔は、俺の田舎にゃわんさ。沖縄だけじゃねえさ。


 ねえ袖振れねえ。振れっこねえ。はっきり言いたきゃ、幻想の仕組み取っ払うしかねえさ。


 誰だって、てめえの足で立つしかねえ。ヒトに出来るのはせいぜい、余力で助け合うぐらいのもん。


 古今東西変わらねえヒトの事実を、事実として真っ当に見るにゃ、特権、幻想、利権と絡む、乗っかりの仕組み取っ払うしかねえに決まってる。


 とうに分かってたんじゃねえの? 四十年前に。かしこい批評家人生の「団塊」さん達。「つけ払っといてね」。言いっ放して棺桶に足突っ込む資格なんざ、ねえぜ。経済的にゃ弱者に違げえねえ俺が、真っ先割り食うのは承知さ。