田舎放送の下請け辞めた男に会った。五十半ば過ぎ。人生不利なの承知だろ。それでも蹴飛ばす男の意地。カケラ程度持つ奴に出くわすのも稀。


 「奴ら、立場でしか仕事しねえ」。奴らとは言わずもがな。散々出くわしたことだ。「奴ら」の時から。


 「立場だけじゃできねえぜ。映画は」。映画がとりわけいいわきゃねえさ。ちっとは、普通の娑婆の匂いするってこったろ。


 口先、弱者の見方づら。あぐらかいて社会批評。官僚より悪らつな、ゼニ取り官僚組織。タテだけのイエ。親も子も孫も、ハシにも棒にもかからねえクズ。たまたま俺が知ってただけ。大抵どこもそんなもんだろ。


 先日、卑屈の固まりの“職人”に出くわした。目つきツラつき、上目下目だけの奴。この手の馬鹿がはびこる間、制度は安泰。


 立川って言う噺家だか講談師だかが、先日言った。「投票する人がいるからだよ。二世三世はびこるの」。


 意地のカケラもねえ、効用のケツばかり追うクズ社会。既得権だけに行き着くの、当たりめえさ。


 「社会正義」の根拠は何だ? 効用の中からなんざ、どう探したって見つかるわきゃねえさ。「意地」の中に潜む労働の、労働者の真理。本気で働いたもんじゃなきゃ絶対分からねえ、本気で働いたもんなら絶対分かる心の摂理。


 若い頃マルクスが、詩人だったマルクスが予感した「疎外」。この手の感性ねえところに、渇望ねえところに、宗教改革も革命も、家族家庭の改革も生まれるわきゃねえさ。


 起て万国の労働者。てめえのケツひっ叩いて。