日本のプロ野球。ほんと久しぶりに見た。五輪で。五輪もまるで久しぶり。
 
 見なくなって十何年。たまにニュースで耳にするぐれえだから、選手の名前大半は知らねえ。見てあらためで分かった。見なくなっちまった訳。


 俺はガキの頃、西鉄ライオンズのファンだった。その頃俺の田舎じゃ、野球も野球帽も巨人ばかり。親父にせがんでやっと一つ、NLマーク。町で探してきてもらった。


 その頃、西鉄は強かった。ぶち壊すって感じがあった。ガキの俺も肌身で感じた。感じた気がした。周りは巨人ばかりだったから。ラジオ聴いて、新聞見て、勝手に幻想膨らました。


 少年野球も、ガキの頃から好きだった。小学校へ入る頃、中学はまだ小学校と同じ場所にあった。田舎中学にも野球部はあり、他校との試合にゃ毎度駆けつけた。真っ暗くなるまで、草野球した。三つ上の巨人ファンの、次兄のノック受けた。ちっとも上手くならなかった。威張って走らすだけだったからってのは、その後分かった。まとまな大学野球のコーチ受けて。草野球だけど。


 俺の住む村は、その頃市に編入。やがて中学も、町なかの学校に編入された。草野球もいつしかやらなくなり、夢見た野球部にも行かなかった。


 野球は嫌いにゃならなかった。その後も。擦り込まれたもん、あったってことだろ。大阪でカメラ回してた頃、プロ野球高校野球、春のキャンプ、甲子園出場校巡り。嫌な気もせず行った。
 担当の運動部の糞達は、死ぬほど嫌いだった。上っ面の事象現象にべったり。力ある側にべったり。集団行動、ごますり。紋切り型の情熱ばら撒き、腹は別。どこもそんなもんって印象だったから、分かる奴にゃ分かるだろ。
 田舎へ戻ってから、当時の防衛庁へ武官で息子送りこんでる親父の自慢話聞いた。まるで同じ体質ってのが、ぷんぷん臭った。軍隊ってのはいつの時代もこんなもんってのも、仕事で歴史ほじくり返し、嫌でも感じた。戦場で爆弾当たり泥に埋まり、食うもん食わずに死んだ奴。永久に浮かばれねえさ。


 俺は、まるでパ〜だがどっか子供じみた情熱持ってる運動部員と、よく取材に行った。あほな話にゃヘキエキだったが、嫌いじゃなかった。他と比べりゃだけどね。子供の熱意で仕事する奴ってのは、こういうとこじゃ(こういうとこじゃなくても組織じゃ)どっか馬鹿にされる。脇に置かれる。十ぐらい上だったか。野村、江夏の取材も、こいつとだった。


 田舎に舞い戻ってからも、野球は好きだった。たまたま持ってた近鉄の練習球、子供の打撃練習に使った。親父はピッチングマシン。子は夢感じたんだろう。喜んで打ち、打てるようになった。子供同士の草野球。仲間に入えれるようになって、お役御免。


 見る方じゃ、福岡から身売りのライオンズはよく見た。沁み付くもんってのは面白れえ。知らねえうちに、娘も息子もライオンズファン。


 高校野球にもプロ野球にも、まるで興味失せたのは、90年代になってから。忙しいのと、体の隅っこに残ってた幻想のかけらも失せたのと。その頃も俺にゃいろいろあったが、そのせいかは分からねえ。


 その後、野球でちっと熱くなったのは、メジャーへ行った野茂の時ぐらい。今思や、中西、稲尾、豊田みたいのをどっか感じた。幻想現実こき混ぜて。 
 子供はその後も西武ライオンズファン。学生の時ゃ、球場でサインもらったと嬉しそうにメールよこした。よかったねと返事した。


 韓国相手の五輪野球。だらだら見てて、つまらねえ訳改めて分かった。選手は駒に過ぎねえのだ。腕組んで指示する奴等の。期待勝手に吹き込む奴等の。粒小せえってば、それまでだが。息苦しいだけ。
 似たような体質どの競技もだろが、まるでマラソン円谷・東京五輪って感じだ。野球だけポツンと。


 何年だか前、リトルに子供入れてる親の話聞いた。防衛庁に息子送り込んでる親父の話と、同じ臭いがした。「子供なんか皆、似たか寄ったか。うまく売り込まないと。監督に」。時代が度を越しゃゲームに出るさ。見る気は失せる。


 見せかけの情熱。こいつにゃ気ぃ付けねえとね。何んにも知らずに一銭五厘。命ゃ浮かばれねえさ。
 白けの人生・生き方、アタマで吹き込むのは良くねえ。本気でやってみて分かるのが一番。大丈夫だよ。浮き上がるから。自然に。見せかけの場じゃ。