草野球だが、二十代前半の頃、ストレートだけは速かった。ストレートだけだけどね。投げれたのは。


 関西に行った年だったか。茨木っていう、薄汚ねえだけの町の市役所脇に、グラウンドがあった。たまたま、平安高で捕手だったてのと出くわしてキャッチボールしたが、球の速さにゃ驚いてた。ど素人の筋肉じゃ、130km台は無理だろ。120km台半ばぐらいは出てたろ。行ってた会社にもグラウンドはあった。打撃自慢とかに準硬式の球投げたら、バックネット越えしか打てなかったから、その位はあったべ。


 体力筋力は、汗流さなきゃ維持できねえなって実感したのが、二十五になる頃。三日に一度は7km半走ってたこともあるから、馬力もあったがヒマだったんだね。今思や。


 サラリーマン仕事だったが、四年近く過ぎる頃まで、真面目に打ち込んた。バカでも撮れるビデオが入り、編集の脳味噌要らなくなり、バカ親育ちの首都圏の利権の餓鬼が流れ込んで来て、真っ当な仕事はもう無理。見切りつけるしかなかったけどね。真面目に働くってのは大事さ。見切りもさっさと付けられる。


 糞関東ってのは今も変わらねえ実感だが、大阪のサラリーマンがいいってわけじゃねえさ。利権も差別もあっけらかん。腹立ててもしょうがねえって位のもん。あっちの取り得は、汗流す気質がちっとはあったって位のもんさ。こいつが失せりゃ、ただのやらずぶったくり。ひょっとしたら、船場のあの老舗料亭のおかんばかりじゃねえかな。今時ゃ。


 娘があっちいいってのも、あっけらかんの所だろね。生まれた時ゃ4kg半近く。いまだ馬力持て余してる。男みたいに思っちまったのは、俺の落ち度。大阪もぐ〜たらしかいなきゃ、考えた方がいいぜ。


 働くことが平和だなんて、敗戦後の1950年。大阪でぶった文芸屋がいた。ちょっと見ごもっともだが、何せ据え物斬り、骨董鑑定、在りものだけに感情移入。この国伝来の典型的文芸屋だった。今じゃ商売成り立たねえ文壇人。俺が首都圏死ぬほど嫌れえってのも、思やこういうとこ。この手の性根は消えるどころか、イッパン社会に拡散しただけ。


 働くことは闘争でもあるんだぜ。ただし自分散々掘ったあげくのね。ステレオタイプの正義掲げて赤旗なんて、汗流したことほんとはねえ観念左翼・学者・ポンチ絵労働者。俺の田舎でも戦後のいっ時はびこったが、腹ん中じゃ百姓に馬鹿にされてた。先進事例とやらで後生大事にほじくる学者が今もいるから、ガクモンってのは面白れえ。


 小林秀雄って言ったか。赤旗ポンチ絵労働者のアンチテーゼ程度の意味しかねえのに、真理の文学者なんて思われてたんだから、いまだまともにゃ越えられちゃいねえってんだから、ひでえ世界だ。ブンゲイなんて。出版屋の利権とつるんだ古今伝授のぐ〜たら世界。


 本気で自分掘り下げりゃ、嫌でも周りとかみ合わなくなる。コペルニクスガリレオもそうだろ? アインシュタインだってそうだろ? 労働ってこういう奴さ。有名どころはたとえ話。名があろうがなかろうが、こういう奴は案外どこにもいる。


 労働ってのは、何んかの摂理感じるってことだ。やってく内に肌で体で。直感直観でね、そいつなりの。例えば歴史の資料漁り。必死こいて読み漁るうち、かちんと閃くことがある。糸で全体がつながる。体でぶつかればね。在りもん・ステレオタイプの思い込みと別のところでね。アタマで読み込む学者じゃねえ、普通の人達が読んでなるほどと思や、真実それなりにありってことさ。史実はもちろん曲げちゃいけねえ。当たりめえだ。スポーツ体得だって変わらねえさ。かちんと体に閃くってとこは。


 こいつに行き着く前提は、真っ当に働くってこと。没頭して。打算じゃなく。虚心って奴で。どんな分野も世界も一緒さ。ここにおいちゃ。こいつが真の解放さ。人間世界の。労働の。


 陰湿陰険・何があってもあたしが上なんて神戴いてちゃ駄目さ。ガリレオの時代だって今だって、一緒さ。スポーツだって労働だって学問だって教育だって政治だって、一緒さ。