何年か前、北海道東端で働いてた娘を、嫁さんと訪ねた。


 ここ三十年近くの間、最初で最後。仕事放っぽらかし。俺にしちゃ長げえ一週間の休みだった。


 娘は、車であちこち案内した。営業したことはあるが、客になったことは皆無のペンションとやらにも泊った。


 その一ヵ所の出来事。サケの何とか焼きの夕食時。俺達の向かいに、若い男女が座った。男は、学生か学生あがり。女は二十歳ぐらいの、なり立てのOLって感じ。


 男が女にしゃべるのは、嫌でも聞こえた。聞こえるつもりでしゃべったんだろ。


 男は言った。僕は小説書く。数年後にはきっと芽が。昔ながらのやさ男。文学青年風。俺の田舎もだが、地方の国立文系にゃ、この手はなぜか今もいる。


 やめとけと腹で思ったが、言えなかった。「ウン」と小声でうなずく女が哀れだった。哀れなら余計言えば? そうかも知れねえ。


 当人本気なんだろう。詐欺師もその場、本気になる。詐欺師は計算ずく。この手は神がかり。奇跡の神。根っこは一緒と、どうにも思う。


 やって見るしかねえさ。やってみて痛てえ目にあって、男も女も一歩近づく。真っ当なもんに。こいつは確率論から言や、あまっちょろい考えだ。十把一絡げの社会政策じゃ、絶対採用しねえだろ。


 俺は、こういう男にゃ同情しねえ。腹ん中は傲岸不遜に決まってる。痛てえ目に遭わなきゃいけねえのはこいつの方なんだが、何んだかんだ言いつくろって、一生このままだろ。確率的にゃ。地方と言ったが、東京の方がごろごろの世渡り不労所得。構造が支える嘘。この男も、何がしかの肩書き・学歴等々使い、いずれ乗っかるだろ。構造に。イナカだって、それなりのもんはある。そん時ゃ女捨てるだろ。嘘、真っ当に信じる女は邪魔。重たいだけの漬物石。信じてればだが。それまで。


 俺が言えなかったのは、もう一つ。この手の青さは俺にもあったからだ。今だって。奇跡に向かって勝手に突進。


 学生の時、吉本隆明に出くわしてて良かったなと思う。吉本は人を「不幸」に導く。真っ当に落っこちろという「不幸」に。暮らし馬鹿にしねえで、なおかつ夢追っかけろ。女が男に求めるのも、こいつ。

 
 俺は今も不完全だ。稼ぎ悪りいのは相変わらず。自分で選んだ道嘆き、嫁さんと喧嘩し、子供にゃストレスばら撒き、やっとここまでたどり着いた。


 そんでもやってく。やってくさ。ちらつく虚妄と毎度手ぇ切って。やってる奴は案外いる。あちこちに。どんな仕事でも。夢追っかけて。暮らし支えて。たいていほとんど辛うじてだが。そいつ見れたのが、幸せってば幸せ。落っちこぼれ野郎の視界の中で。