前にも言ったが昔、佐伯孝夫という作詞家の家に行った奴が言った。「部屋にぺたぺた、文字書いた紙貼ってあった」。時代の言葉とか。今ならキーワードって奴。


 プロの作詞家なる者達は、大抵似たことやってるんだろう。言葉は、連想ゲーム。


 この間死んだ阿久悠なんかも、そうなんだろう。『♪青春のたまり場』なんてのは、時代のイメージまで壁に貼った歌だ。


 言葉(共同幻想・共同主観の単品)をつなぎ合わせる。言葉拾いとつなぎ合わせにゃセンスいるから、それなりのもんはなきゃ出来ねえ。それでもずい分、仕事は効率化する。時代の言葉×想念(センス・読み)×筋書き=歌詞。歌詞を文章と置き換えりゃ、流行小説等々。この位割り切れてた方が、ビジネスとしてツボ得たものはできる。筋書きは、企画会議の仕事。


 これは東京人の思考回路だと、俺は思ってる。処理に長けた東京人。阿久悠は東京人じゃねえが、広告代理店。手法は、嫌でも身に付く。


 以前、東大の学生が言ってた。「僕達頭いいって言われるけど、処理に長けてるだけなんです。課題の処理。これに長じてるってこと」。


 学校・塾で技法習得、家に帰ってドリルで体得。そういう世界はあるさ。それが役立つ仕事はあるさ。実務のたぐいは全部これ。行政なんか典型。国立行政学院だっけ。フランスがわざわさ置くのも、この養成だろ。


 問題は、この国の者達の思考の大半が、この枠になっちまってるってことだ。単一ってのは、いけねえ。いけねえのは、とりわけ東京人。この手の脳味噌の「正統性」を、先進性の幻想や明治国家由来の仕組みと権威、裏付けの収入が後押しする。人間、「いい暮らし」にゃ勝てねえ。だから皆けつ追っかける。野捨て、山捨て。価値観多様化? してねえさ。このレベルじゃ一歩も。蔓延した分、退歩と言った方が正確。


 俺が沢田聖子って歌い手いいと言うのは、ある時期までかも知れねえが、身もだえした形跡あるからだ。自前のもんのために。村下孝蔵いいってのは、歌作りの方程式と歌唱力、自前の汗で身に付けた形跡あるからだ。歌唱力って点じゃ、あさみちゆきもだろう。


 独創性。こいつがありゃいいに決まってるさ。だが何よりまず人の気持ち動かすのは、自分に根ざした汗、身もだえ。その匂い、痕跡だ。上っ面の結果は、月並俳句でも。


 学んだ独創性。こいつはいつもどんでん返しで戻ってく。この国の「不易の構造」に。言わずもがなだろ。訳は。学生運動、アカデミズムなんて、野暮なこと言わなくても。


 何度も何度も言うけど、俺の言う共和制の根本はこれさ。魂の自立。多様・人それぞれ。そして共鳴。真っ当な労働者・職人がする、素直な努力や身もだえへの。この共鳴が共和さ。連帯さ。連帯求めて孤立恐れずさ。


 政治のこと言うと、大抵の奴は退く。だが政治ってやつは、理念思想、時にゃ宗教と、大局の事柄になりゃなるほど、暮らしと関わる。暮らしの根底と。それは事柄の処理じゃねえ、魂の、表現の問題だからだ。自分自身の。