少数派の統合はなぜいいか


 人のよさや力は多様だ。これは確かに、人の数だけ在る。


 これに目ぇ行く者は日陰に、ホームの陰で泣いてる者に目ぇやれる。


 肩入れはいけねえ。だが確かに目ぇやる。こいつは必須だ。人のために、自分のために。虚心に。


 虚心? 思い込み、できるだけ取っ払おうって心と生き方さ。


 虚心は、まずは自分に向けられる。自分の中の馬鹿さに。銭金だけの娑婆で、無くしかけてたよさに。人情ってやつでいいさ。自分、巷で鍛えるってのは、このこと。


 「♪人に勝つより 自分に克て…」。先生が言いそうな言葉。


 本音は「出来る子」しか可愛がらねえ奴が言うと、生むのは反発。この手のセンセイに出くわす奴は不幸だ。ほとんどの奴は不幸ってことさ。
 不幸にならなかったのは、村下孝蔵の素直さだろう。稀にいる、実践者の資質の教員がいたってことだろう。


 自分に克つってのは、自己否定とイコール。昔の学生運動の、口先で終わった真理。真に受けたバカは、俺だけじゃねえだろう。出くわすことは無かったが。



 少数派の統合。こいつにゃ真理は表れやすいと、俺は思ってる。


 違いを越える。こいつは人の真実に、真っ当に根ざさねえと出来ねえからだ。虚心の部分に。



 少数派の統合。糞の性根刺激したって出来るさ。ヒトラーみたいにね。小泉みたいにね。劣情に憎悪に、ひがみに優越感に、巧みに恥知らずに訴えて。こいつばかりは時の運。一人ひとりの性根の総和の問題だ。


 はっきりしてるのは、ただ一つ。あっちこっちなびかねえことだ。自分信じて。少数派になろうが多数派になろうが、独りっきりになろうが。


 俺が言う共和制ってのは、これさ。ばらばらの個体の、烏合の衆の総和じゃねえ。権威、摂理に押し込められた「一体」じゃねえ。一人ひとりの共鳴共感に根ざした融和ってことさ。口先や借り物の理想じゃねえ、人民民衆が古来暮らしの中で掴み取る、自前の思いに根ざすところのね。



 オバマがんばれや。あんたがホンモノか、あかの他人の俺にゃ知る由もねえが。共鳴する者達の心性にゃ、ホンモノはあるぜ。


 ニッポンにゃ損か得かのたぐいのしたり顔の評論も、我のみ高しの「知者」気取りの高みの見物もしねえさ。ほんまもんの匂いが、ちょびっとでもする間は。God Bless Americaの騒音の中でもね。