思想はひとり言――情念思いの具象化

 「あいつらの頭ん中にゃ、問題意識なんてもうどこにもねえさ。あるのはこの先退職金いくらもらうとか、老後の心配だけ」


 もうとっくに潰れた田舎出版の経営者が言ったのは、1990年になるかならねえかの頃。団塊、六十年安保、「戦後民主」の者達。この手の世代の、田舎マスコミのサラリーマン共指す言葉だった。


 こいつ自身も羊頭狗肉。二束三文孫請けの番組作りの中、田舎役人の不正に否応無しに首突っ込んだ俺が、ビビッた田舎放送と衝突したのを「手打ちしてやろうか?」。そう持ちかける程度のクズ野郎だった。


 「中央」「地方」共通の寡占・馴れ合い・自己保身。役人以下のお身内社会。こいつらが仕切る電波仕事失くし、その後は食いつなぐためだけの日雇い活字仕事。俺の怒りは、何もできねえ自分への情けなさは、一人ひとりの人生探り当てる情念に流れた。


 「人間の生きる本質。情念の本質。こいつ探り当てなきゃ、にっちもさっちも。建前、口先の正義。糞の役にも立たねえ」。


 その結果、「言われたからやりました」で始めた飯の仕事は、毎度いつのまにやら自分の仕事に。どんな奴の人生にも、言うに言われねえ思いや情念が渦巻いてる。こいつの奥に何があるか、こいつは何をどう生きたのか、こいつらから、何を俺は感じるのか。


 学生の頃から、人生の足引っ張り続けた情念。さらり流して水のごとく生きてりゃ、今頃俺も天下り先・退職金、年金の額数えてたろ。不況だって安泰さ、民間装う宦官社会。


 仕事はこうして毎度、遅れに遅れ。馬鹿やろ、そこまでやらねえで何の歴史だ、人物伝だ。こうして衝突繰り返し、この手の仕事も完全に失くしたのが2002年。もういい。歴史含めたあかの他人の人生なんざ。自分掘り下げろ。この思いと同時だったのが、俺にゃ幸い。失対仕事も、飛び込み営業の糞仕事も屁でもねえまま、今日に。


 人民民主、暮らしに根ざした共和制。こいつの思いと確信は、この結果だ。特権意識の学生運動の糞の時代を悶々生きたのも、科挙階級のサラリーマン暮らし蹴飛ばしたのも、無手勝流の七転八倒、嫁さんとぶつかり子供泣かせ、どうやらここまで生き延びて来たのも、この一言言わなきゃ気が済まなかったからだ。


 矛盾はあるさ。今も。「田舎に行ったら、お庭に木のある暮らししようね。柿の木とか」。嫁さんとの約束は果せねえまま。暮らしの大事さ口にして、子の学費も子達に稼がせ。半値の値札の食い物で、今日まで食いつないで来た。


 それでも今はいい時代さ。散々書いて散逸したメモ、覚書。こうしてここに書いときゃ、ちっとは他人の目に触れる。それなりに保存もできる。怒り憎悪の一文が、他人にゃいいのか悪りいのか。俺にゃ分からねえ。分からねえが、こいつは言える。アタマだけの、無体験の綺麗事よりゃましだぜ。何より、散逸しちまうんじゃ情けねえぜ。七転八倒の人生。他人の代弁じゃねえ、自分の人生。一言ぐらい言っとかねえと。自分のために。自分掘り当てるために。情念思いの具象化のために。