がらんどうと母なる海

 国営テレビで、良寛のこと放送してた。


 ある金持ちが夜とかに、使いに言いつけ書を良寛に頼んだら、使いにゃ悪いと思ったか「あいにく紙も筆も無いので書けません」。そう書いて渡したなんて話は、先年死んだ杉浦茂のユーモア漫画思い出す。


 同じ田舎出の作家、坂口安吾の何代前かの爺さんが良寛と酒酌み交わし、後で聞かれて「なに、ありゃ生臭坊主だぜ」なんてのも面白い。言われて気ぃ悪くもしねえだろけど。格式体裁先行の俺の田舎なんかにゃねえ、雪国リアリズムってのは確かにある。雪国出の嫁さんは、なんだかんだ言う前に自分で生きなきゃ雪に埋まっちまうからと言ってたが。俺の田舎の雪国にも、たぶらかされねえで見る目持つ者は案外いる。


 麻生という首相が漢字読めねえのが、今話題。雪国出の土建屋宰相がこの手で馬鹿にされりゃ、馬鹿にする方に腹立ったが、麻生が馬鹿にされても同情も湧かねえ。リアルな人生ねえくせに聞いた風なこと抜かす、統治の下請け・○○青年会議所なんかにゃよくいる、ぼんぼん野郎だからだろう。


 戦後の保守と言われる者達の中にゃ、土建屋宰相の係累がけっこういた。物心共に戦前受け継ぐ旧保守とは、下支えの者達の心情・基盤も違ってたはずだ。相当のワル・腹黒の臭いする新党大地なんてのも、おおまかに言やこの係累だろう。


 こういう者達小馬鹿にしたのは、旧保守も戦後民主の「リベラル」「左翼」も一緒ってのは、覚えといた方がいい。小馬鹿にする構造がね。


 十五年前あの世に行った土建屋宰相が、その係累達がそのままいい訳ゃねえさ。だが戦前=エセの伝統・お手盛り近代の、暮らし忘れたがらんどう統治国家。こいつの尾引く保守共や、本音は同じ椅子の教養主義「リベラル」「左翼」が、実人生じゃ小馬鹿にし見落とすもの=暮らしの感性ってのは持ってたさ。どろどろしたもんだとしてもね。


 民主って何んだい? 連帯って何んだい? 博愛っていってえ何んだい? 本読んで、テレビ見て涙流すけど実生活はするりと避け、蛇口ひねりゃ給金出る綺麗事の仕組みだけに実は信を置き、生身の人は信じず人情も無く、仕組みが醸す見上げ・見下しの意識に本音委ねる。ほんまもんの民主は、こういうとこからは絶対に生まれねえさ。


 暮らしという泥田、泥沼。勇ましがっても足すくわれ、言いてえこと言えず歯噛みし、嫁さんと喧嘩し嫁さんに救われ、子に救われ、「馬鹿」も「利巧」もリアルに見、貸し借り・人情忘れずに、どうにかこうにかやってく。こういう世界が母なる海。こういうとっからじゃなきゃ、真っ当な精神も仕組みも成り立たねえさ。パサついた、建前・綺麗事だけの、人民民衆見殺しの、仕組みにだけ忠誠の勇ましがり・イエスマン国家以外はね。