子供とオトナ

 ある地方紙のコラムの、秋山仁という数学者の随想。以前、ん?って思うこと書いてた人物。


 これは読める。結局は「上」指差してるだけってば、それまでだが。


 ヘンなもんに囚われねえで、一人ひとりの良さ引き出す。こいつは大事だ。この場の性質上、紙名は御容赦。



(※以下引用)
 日本の若者は、ほかの先進諸国の若者に比べ意欲や向上心が低い人が多いと言われ、また、順調に自分の道を歩んでいるように見える青少年でもちょっとしたことで挫折してしまう状況は、どうしてでしょうか? その大きな原因は、実は日本の大人の側にあるのだと思う。
 日本の大人はほかの国の大人に比べて、得てして“こうしなければダメなんだ”という既成の観念に縛られて、若者たちの多様な可能性について考えずに、独自の狭い考えで決め付けてしまっていることが多い。…
 二〇〇八年のノーベル化学賞を受賞した下村脩先生が、受賞が決まってのインタビューの中で、日本の若者たちに何を伝えたいかと問われ、「地方大学出身でもノーベル賞を取れるということを伝えたい。そして、苦しくても頑張ってやり遂げることが大切だということを伝えたい」と語った。
 このメッセージは…日本の大人たちへの警告でもある。若者の将来に対して深い配慮に欠けた大人の指導は、百害あって一利なしである。
 あの独特なトルネード投法で大リーグで活躍した野茂英雄投手も、もし少年時代にリトルリーグで野球のキャリアを始めていたら、標準的な投球フォームをたたき込まれ…あれだけの実績を挙げる投手に成長しなかったかもしれないと指摘されている。…イチロー選手にしても、仰木彬元監督が、彼の持つ“ほかとは違ういい能力”を見抜くまでは…「体が細くてしっかりできない。しかも打球を外野まで飛ばせないのだから一軍でやれる選手じゃない」という評価で八方ふさがりだった。
 大人たちが貧しい価値観を押し付けて、その価値観に合致しない青少年のやる気をくじき、価値観に合うサイボーグロボットだけを大事にしようとする。このことが子供のやる気をそぐだけでなく、自分の頭と心で考えようとしない若者を大量生産する。
 …どの若者にも、その人にしかできないことを探らせ、その人がいてくれたおかげで皆が幸せになるような世の中を築くため、大人が考え努力する人間にまず変わらなければならない。
(※以上)



 餓鬼の頃、俺の周りはこの手の大人ばかりだった。俺は自分を、馬鹿で無能と信じて疑わなかった。そんな俺に二十歳の頃までに、「そんなこたぁねえさ」とちょっとでもささやきかけてくれたのは、吉本隆明ただ一人だった(本だけだったてのが情けねえけどね)。


 大人になった今(てえよりも通り越してるね。子育てだって終わっちまったし)はっきり言えるのは、下の子には少しはできた。上の子にはできなかったってこと。上の子は利発で、下の子はぼ〜っとしてた。馬鹿な自分を散々味わった俺は、“同種の人間”の相手は少しは出来たってことだろ。(ごめんね。下の子)こいつも一種の欠落だ。


 社会(他人)ってのは、基本的にゃ相手をこき下ろすもんだってのは実感だ。そん時何んに頼れるか。最終的にゃ自分だが、触媒程度は必要だ。そこに行き着くまでの。吉本や西郷さんなんかが、俺にゃそうだったように。


 やはり一番は親だと、俺は思う。何があってもそこに居る。腹決めて一緒に居る。腹に徹し、体感に徹し、頭で絶対諭さねえ。


 こいつは実は途上なのだ。俺自身。俺自身のゆがみが子をゆがめる。芽を摘む。こいつをちっとは悔いる気あるなら、一生てめえをたたき直すのが、オトナなるもんの務めだと俺は思ってる。



(追伸)
 「利発な子」を生むのは、親の馬鹿さ・愛情欠落だ。絆の欠落埋めるため、子供は利発を装う。ほんまもんの愛情がありゃ、子はぼ〜っとのんびり育つさ。