ぼ〜っとするのは必須だ

 吉本隆明は若い頃言った。どっかの古民家か土蔵の二階で、古い文書か何か調べて疲れ、寝そべった時の気持ちを。


 「ざまあみやがれ。お前らには分からねえ。こういう場所でぼ〜っと寝そべる。こういう気持ちは」


 「お前ら」ってのは、朝から晩まで駆け続け、上昇階段ひた走りの元学生仲間のことじゃろ。


 落ちこぼれは嫌でも出くわすさ。お勤め慣れしたかつてのお仲間が、「忙しさ」ひけらかすのに。


 腕時計見てさっと立ち、嫌がらせ込めて去り行く場面にね。♪People hearing without listening なんて歌もあったね。どこも一緒。この手の“エリート”の性根は。


 俺もこの種の者達にゃ、何度も何度も出くわしたさ。今でもね。


 貧乏こいててよく思うのは、「エリート」ってのは、お立場・ふところ具合だけじゃねえってこと。


 よく覚えてるのは、サラリーマンの撮影屋時代にお付き合いした孫請け男。


 労組好きのこいつは何かにつけ、俺達ゃ差別されてると言った。その通り。差別されてたさ。無為徒食の、正社員なるテレビ屋共に。


 正直者の、悪い奴じゃなかったさ。


 こいつは俺が糞組織おん出る時、連れてってくれと言った。でも断った。


 肝心かなめの土壇場で、踏ん張り利かねえから。魂の踏ん張りがね。俺達ゃ差別されてる―に行き着いちまう性根が災いして。


 言ってるこたぁその通りさ。差別されてたさ。下請け孫請けの稼ぎピンはね。今風にゃ、パ〜な芸人に喋らせて広告料稼ぎ、影じゃ小馬鹿にして、口先聞いた風なこと言う「エリート」共にね。


 だが俺は、この孫請け野郎の性根の根っこは、こいつらと一緒だぜと感じてた。


 理屈は単純。現業仕事どっか馬鹿にしてたからね。だから身に付かなかった。単純な照明仕事の一つも。言い訳が、俺達ゃ差別されてる。


 こいつはついに理解できなかった。職人労組の真髄を。生み出す価値の源。こいつに根ざさねえと、てめえ自身腐るぜ―の本質をね。


 だからその後小馬鹿にした。奴にとっちゃ、孫請け以下と化したおいらの仕事を。「こいつは一人称で書くしかねえ」と、ある人物の闘争記書いてた俺を。電話の向こうで鼻で笑ったさ。「ゴーストライター」の一括りで。


 現業身に付かずの管理屋、孫請け会社の役付きだべ。今は。大阪人にゃ馴染まねえはずの東京でね。出は西国の田舎もん。おいらの田舎とよく似た中央志向の土地柄。


 

 また時間切れ。結論だけ書くべ。ぼ〜っとする時間ってのは、大事さ。


 上っ面で浮遊する物事、体得の時間。体で感じる時間。


 こういうもん核にねえと、組織の価値ですべて仕分け。分かった振りの上っ面。動機は助平根性の忙しがり。Hearing without listening。


 ぼ〜っとした自分抱えて生きるってのは大変さ。でもこれほど面白れえもんはねえさ。職人労働の真髄。家族家庭、暮らしの真髄。とろ臭く見えてもね。