吉本隆明の限界 この国の「知性」の限界 (その2) 表現者と共和制
1980年代になる頃だったか。吉本隆明の友達の鮎川信夫ってのが吉本に言った。
「あなた、詩を書きなさいよ」
その頃吉本が行き詰ってたらしいのは、対談から嗅ぎ取れた。
金無かった(生活大変だった)ってことだろう。売れなくなってたってこと。雑文、評論等々が。
「長屋のあんちゃん、おばちゃんがマンションになんか入ったら、それこそ死んじゃいますよ」。そう言ってた吉本が何んかの雑誌にブランドもの着込んで登場したのは、その少し後だった気がする。「世の中が高度化しちゃった」とかなんとか言ってたってのも。
娘が売れ出したのも、その頃だっけ。論敵だった江藤淳が娘を妙にほめるのが、俺にゃどこか奇異だった。本気かいな―。
その頃江藤は、作家協会か何かの立場で国営放送に対談で登場し、「文芸書売り場をもっと書店の前面に」と提案。「こういう競争力の弱い分野は中々難しいです」と、東販の営業屋にあっさり切り返されてた。
江藤にしてみりゃ善意だったんだろけど、田舎で四苦八苦の俺にゃ、東京のお仲間社会の発想にしか、もう見えなかった。
江藤ってのは良くも悪くも、暮らしの目先利く東京人だった。勇ましいこと含め色々言うけど、ちゃっかり立ち回る。思想なるもんと一本になってりゃ、別にいいんだけどね。暮らしをちゃんと取り込んでりゃ。
鮎川も東京人なんだろけど、どこかサラリーマンの坊ちゃん風江藤と違って、吉本にゃずばり言う男だった。「詩を書きなさいよ」。こんなご時世に、売れっこないの承知で。
表現者になれ(戻れ)ってことなんだね。言いたかったのは、多分。そこ離れちまったら、あんた駄目だよ。
鮎川ってのが、どんな人生送ったのか俺は知らねえが、こういうずばりは大事だ。何よりまず自分に対して。
客体(見て立ち回る)になっちゃ駄目さ。主体じゃなきゃ。
主体。これ即ち、否も応も無く表現者。生きてるのは俺。感じるのは俺。良くも悪くもこれが俺。この俺が俺を表す。これが表現、表現者。
別に生活無視、周りはどうでもコケの一念って話じゃねえさ。
自分のために必死こく。必死こいて暮らす。暮らしながら作る。町工場の親父だって一緒。
とりあえず金にならなきゃ、また一先ず勤めりゃよかったんさ。以前いた特許事務所に頭下げて。門前払いなら、ハローワークで探しゃよかったんさ。おいら、そうしたよ。「このままだったら別れるよ」と、嫁さんに脅されて。
表現ってのは、他人事じゃなく表すことだ。歌でも、絵でも、文章でも。これにゃ高級も低級も、大衆向けもインテリ向けもねえ。科学技術だって、生み出す奴、作り出す奴は皆一緒だべ。
そういうとこで言ってるかどうか。こいつは案外分かるもんだ。においでね。人民、大衆にゃ。
この国の学者、インテリってのは解釈屋、訓詁学屋しかいねえ。
要因は、アタマの良し悪しの問題じゃねえ。人生イロハの出発点の問題だ。
共鳴共感、主体性、人の並立の共和制も、人生イロハの出発点の問題だと、俺は思ってる。
解釈(写経・後付け)だけ。いつも同じとこ堂々巡り。そうこうするうち現実は先に。
これがこの国のインテリ・「知識」人。真似っ子・亜流の学卒サラリーマン達。「団塊」なんか、とりわけ目に付くけどね。
前向きに。共鳴共感、主体性と人の並立、人民民主の共和制万歳。