表現者
ネットで知り合った表現者4人。たまたま皆、歌だけどね。
『♪レンガ通り』『♪夕焼けの町』などなどの村下孝蔵。
1990年代初期までの沢田聖子ちゃん。
『♪別れの朝』の前野曜子。
前野なんてのは、情念が殻突き破っちまってずっこけた口。しきたり無視しやがって等々、散々言われたろ。東京仕様・ちんまりの業界人達から。
マネージャーも付けずに独立独行なんて何んかに書いてあったけど、こういう馬鹿の果ての結果がどうでも、とやかく言う筋は俺にゃねえ。
人生そのものが表現だったとも言えるさ。そのくらいのもんはある。ちんまり凝固に向かってた、当時の娑婆じゃ。
宝塚という虚構飛び出し、虚構越えようと必死。これは俺の推測だ。
『♪別れの朝』なんかにゃ、その種の情念にじみ出てる。そう思って俺は聴いてる。
虚構の歌に、前野の情念がへばり付く。やばさの始まりだったろ。いい歌さ。その後の不幸の始まりだったとしても。
90年代初期までの聖子ちゃんも、前野に似た渇望がある。凝固に向かう時代に対して、体の中の情念、思いを絞り出そうとしてる。歌唱力は前野と比べちゃかわいそうだけど、そんなこたぁどうでもいいさ。
その後の聖子ちゃん、何んで駄目かって? 何んかに自分重ね合わせちゃってるからさ。
だから不幸に落ち込まずに、息永くやってるってこともあるだろ。90年代までがんばっただけでも、俺が文句言う筋は無え。
村下はもし生きてたら…なんて思わん方がいいね。必死こいて歌って、あそこで死んだ。漫画家ちばあきおによく似た死って感じが、俺にゃする。