手ならい、塾通い時代のヒーロー

 イチローのことさ。見物人の勝手な印象だけどね。

 見てて、熱くなるもんがなぜかねえ。かつての野茂みたいなもんが。

 花鳥風月なら見事に描く御用絵師ってなこと言ったけど、言い換えりゃ、見事な成績の塾通い生徒のヒーローってな感じ。

 なぜか息苦しい。すかっとしねえ。よ〜し、俺もいっちょうってな気が起きねえ。言うことがどっか気に障る。選手仲間なら疲れるだろな。

 ヘンなナショナリズム吹っ飛ばす連帯感。こういうもんと、なぜか対極ってな臭いもする。わざわざ他国に行って、せっせと稼いでるのにね。

 野球ってのは元々「学校教育」として普及したんだね。明治の頃に。師範学校の先生主導で。だから「教育」力説するんだろね。甲子園主催の旭日旗新聞も。

 うちの近くにもある。精神野球の高校。朝から晩まで、日曜祝日も練習。帰りがけにゃ歌まで歌って一致団結してるけど、なぜか勝てねえ。ローカルレベルで。

 思えばイチローは、この国伝来の野球選手のセンスってことだろ。あちらじゃ色々言うのもいるみたいだけど、ワールド何とかじゃ一致して「不可欠な選手」。チームメートも、世辞かどうかは知らねえがそう言う。やってもやっても上達しねえ明治仕込みの精神野球じゃなく、効率よく偏差値アップの塾教育ぐらいにゃ進歩(?)してるけど。

 アメリカ野球は、ガム噛みながら鉄砲打つGI野球。―ってよりも、どこまでも個人の遊び、ビジネスの延長だべ。そういうセンスとは、どっか混じらねえんじゃねえかな。混じるのもいるみたいだけどね。この頃は。

 息苦しいのは良くねえ、とにかく。何やるにしても。