熱とがらんどう
2003年フランスのテレビ作、キューバのカストロのインタビューを裏街道チャンネルで見た。
久々思った。革命って奴は熱だ。熱の持続だ。何よりまず、気持ちん中の。カストロにゃ、熱いもんが確かにある。
やったことがどこまで良かったんか、俺にゃ分からねえ。言ってることがどこまでほんとか、裏付けようはねえ。
だが爺さんになっても熱い。こいつは分かる。気持ちの根っこは純で、グジグジしねえでストレートってとこも。ものの見方が、直観力が。
こいつは多分、真っ先始めた革命家に共通のもんだろう。ある時期までのマルクス(青年期過ぎてからのことは、俺にゃ分からねえ)、レーニン、毛さん(文革その他、何かとミソ付けたけどね。熱かったことは熱かったんかも知れねえ)等々。思想家ルソーなんかも、そうだったんじゃねえかな。古過ぎて、まるで手がかりねえけど。
見てて、もう一つ思った。四半世紀前、田舎町の工業史作りで直に聞いたり調べたりした、戦後中小企業の創業親父達。または、村をおん出てストリップ小屋作り、会社興した無頼親父(ほんとのこと書き過ぎて、本にゃならんかった)。コケの一念、義理人情、直観力で生き抜いた土方親父(これも同じ理由で、本にゃならんかった)。
土建屋宰相と言われた雪国親父も、その昔の西郷さんなんかも、似たもん感じる。
人間熱くなきゃいけねえ。気持ちが心が。こいつは何より前提だ。一縷(る)の望みも可能性も、そん中にしかねえと俺は思ってる。
何度も何度も言うけど、人間って奴は無だ。あらゆる可能性秘めた無だ。虚無じゃねえ。
違いの根っこは、単純なもんだ。気持ちが、無のかたまりが熱いかどうか。あったかいかどうかだ。
がらんどうじゃ駄目だ。空っぽじゃ駄目だ。冷えきってちゃ駄目だ。冷めてちゃ駄目なのだ。
先例踏襲、二世三世。全部虚無さ。だから欲しがる。糊塗するためのエセ本尊。御光背。
言うのもくだらねえけど、「やんちゃ」のピーナツ県知事なんて若旦那仕様、典型的な見せかけの情熱。多いね、この手は案外。○○会議所青年部等々。そういやひょっとこ首相の旦那も、この手のセイネン部の会頭さんだったんだってね。
プーチン、小沢なんかも危ねえな。黙んまりはいいんだけど、熱い黙んまり、冷てえ黙んまりってのはあるからね。
あらゆる世界、あらゆる分野、家族家庭含めたあらゆる日常で言える。熱がなきゃ、何んにも始まらねえ。育たたねえ。こんなしがねえ田舎暮らしでも。どっちに転ぶか以前のもんだ。熱過ぎて、時にゃ火傷はあるにしても。