感性と革命とインターナショナリズム

 人間てのは感性だ。

 上も下も横も縦もねえ、あらゆるもん含む人民の海。こいつ感じるセンサーだ。

 感動したなんて言うけどね。ほんとに感動したら、後に沈黙が来ねえと。自分、本気で振り返る沈黙。

 自分の中にも、あんたの中にも同じもんあるんだぜ。そいつ感じるのが真の感動だ。無意識じゃ、誰も分かってるんさ。

 一束なんぼの感動商品、消費だけして済ます。しゃべって誤魔化しうわべの連帯。こんなお仲間とは、自分とはおさらばしねえとね。

 自分の世界掘り下げろ、魂掘り下げろ。それはこのことさ。

 そうすりゃ嫌でも見えてくる。自存の魂。

 感動はトータルだ。トータルなもん感じるから感動なのだ。

 局所的感動なんてものは存在しねえ。セクショナリズムに、部分に入れ込むだけなんて、そんな都合いい感動は存在しねえさ。

 定義付けられた感動。ぜぇ〜んぶ詐欺さ。

 革命がなんでインターナショナリズムか。ちんけなナショナリズムとおさらばか。自存の魂と対だからさ。どこにも広がる人民の海、人民の宇宙と対だからさ。

 たぶらかされるな、セクショナリズムに。ちんけな王朝に。

 人民の海だけは信じるに足る。どんなにせこく見えたって。なんだかんだ言っても、人の人生、人の暮らし、魂の嘆き怒り、ぜ〜んぶ溶かし込んでるからだ。

 統治の側に回らねえこった。必要悪に手ぇ染めることはあっても。

 魂売らねえことさ。


 魂の泣き寝入り止(よ)しにする仕組み。こいつは絶対必要だ。

 共鳴共感、人の並立、義理人情、根っこの部分はインターナショナル、人民民主の共和制万歳。