既得権と鬱

 40代の頃、俺はひでえ鬱だった。

 こいつは周期的にぶり返した。大きくは3年周期。

 元をたどれば20代から。もっとたどれば高校の、真似事程度の不登校の頃から。

 体調その他いろいろ絡むにしても、根っこはどうやら既得権。精神の。こいつのせいだった。

 既得権で悪けりゃ思い込み。

 こいつと、今ある(空っぽの)自分の落差。

 このところの、ほんと久しぶりの鬱で改めて思った。

 上っ面、意識上の思い込みなんざ、あほかとてめえの尻蹴飛ばしゃ吹っ飛ぶ。問題は、根深く体質(無意識・半意識)にへばり付く奴だ。

 こいつはほとんど親譲りのもん。全部と言ったっていい。

 人間、誰しも所与の環境に育つ。仕方ねえさ…ってのとはちょっと違うんじゃねえかなって気がする。この種の体質、親譲り。

 根底的に凝固したもんしか植え付けられねえ親と、そうじゃねえ親。この差はあるんじゃねえかな。

 可能性(かっこよく言や可能性の無)開示できる親と、閉じた系しか出せねえ親。この差じゃねえかなって気はする。人間誰しも、どちらか一方だけって訳じゃねえが。原点、比重、基本の問題。

 この歳になると、親としての反省の方が先立つ。くだらねえもん、乗り越えられなかったな…。

 このところの鬱のきっかけは、子の不意打ちの一言。嫁さんケタケタ。「あんた達、濃すぎたから」。読み書き算数、漫画草野球の相手はよくした。

 この野郎と思う前に、てめえの反省。

 自分バラして出直すだけさ。幾つになったって。馬鹿の血、ちっとでも入れ替えるために。

 それにしても、疲労の時の一撃は効く。