男らしさ

 あっちの大學出た娘の知人は言った。「九州男児って、ほんとは男らしくないのよ」。

 女の嗅覚。こいつは良く分かる気がする。明治国家が観念化させた、統治に感情移入の者達の性根に今もとうとうと流れる、この国の道徳美風。「親(男)が子(女)にして当たり前のこと、恩に着せる」。このルーツは、確かにキューシュー男児にあるべ。

 知人にこういう男がいた。妻や子の前でおかず一品二品余計付け、「男は稼いでるからいいんだ」と、わざわざ口に出して言う奴。豊かな食卓じゃなかった。見てる子や妻のうらめしげな顔は、今も忘れられねえ。こいつは熊本。
 「今は女も稼ぐ時代だから、あんたも働いて。でも夫にゃ尽くして」。言わんでいいことわざわざ言い、初対面の嫁しらけさせる舅。鹿児島だったね。

 俺が思い出すのは、和製タリバン国家明治の経典『教育勅語』。こいつ大真面目に作ったのは熊本人。人民脱落の脳ミソで「自虐史観」批判。しこたま稼いだ漫画屋くずれは福岡。同じ性根で「成田」「組合」批判して大臣首に。筋一本通せねえまま、またぞろ出馬のたまう立身出世エリートの成彬さんは宮崎。

 「金看板ひけらかすな。うまいものは皆で分け、親が子を、兄が弟慈しみゃ、親愛の情おのずと湧く」。言った薩摩の西郷さんは、今も好きさ。