職人技

 前も言ったことあるが、竹ざる竹かご編んでる親父がいる。と言っても、歳ゃ俺より若い。

 子供抱えて嫁さん抱えて、親譲りの竹かご編み。この頃じゃ民芸扱いだが、実用性で作ってる。親父の親父が作ったざるは、わが家じゃ二十年ぐらい使った。うどん、そばざるに酷使して。

 二年ほど前仕事で行った時、親父は必死で編んでた。いつ売れるか分からねえ竹ざる。山で自分で竹選んで、ひごにして手編みして。でかいざるなら一日せいぜい一個か二個。親父が作る竹かごは丈夫なので、すぐまた買いには来ねえ。経済原理じゃこいつは悪循環。

 行った時、嫁さん機嫌悪かった。買うわけじゃねえ相手と延々話。それより何より、実入り薄いのが一番の理由だべ。親父は必死で手ぇ動かしてる。それが嫁さん、余計苛つかせるんだろ。ろくに金にもならんもん、必死こいて。

 この手の辛さは骨身に沁みる。散々わが家も繰り返した。必死こくもんは、何やってもそうなる。金になるかどうか、暮らしに潤い持って来るかどうかなんてまるで別話なのだ。それでも必死に。その根拠は何んだ?

 そんなもん、自分で探すしかねえ。体当たりでやってつかみ出し、先に進むしかねえ。そん時ゃ納得するだろう。やめちまっても。

 民芸なんて猿芸にあぐらかかねえ親父は真っ当。ヘンなもん持って来て理由付け、権威付け、うんちくぬかし始めたら終い。職人技は。

 俺が昔関わった活字稼業は全部駄目だった。見栄体裁、社会的意義。誰も認めぬ先進性、奥深さetc。あるわけねえだろ、そんなもん。雲散霧消するはずさ。てめえの中に何も残さず。

 暮らしに必死の女は、毎度冷や水。親父の頭に。それでいいのだ。男が馬鹿さ自覚のためにゃ。

 夫唱婦随なんて糞さ。旦那の仕事自慢の女となんか、死んでも一緒にならねえことだ。てめえの真っ当な血、無くしたくなけりゃ。