団塊の名のうんこ

 地べた這ってて思うことがある。泥まみれはいねえ。いわゆる団塊にゃ。

 実際野良仕事なんざ、ぷっつり切れる。団塊前で。

 あんだけ大量に生まれて来たんだからね。泥んこ野郎(女)、ちっとは出くわしてもいいんだけどね。

 三十代の頃にゃまだいた。ポーズだけの反体制、乗りそこなっただけの精神の場末野郎達。小ずるく近道・小径に走る、踏ん張り忘れたイタチ野郎共。今もどっかの街の場末で、小汚く生きてるだろう。空虚はりぼての肩書きちらつかせて。

 半年前、珍しく会った。山ん中で。団塊なる糞男。初対面を品定め。毎度お馴染みの嫌味、泣き言、社会評論。そういうあんたの人生、一体どこに在ったんだい?

 学生運動なるもん口先だけと俺が言うのは、実体験からさ。四十余年の。左翼そのものがそうだった。労働運動そのものがそうだった。市民面そのものがそうだった。肝心かなめの土壇場じゃ紋切り型、杓子定規、組織のエゴで立ち回り。自分持たねえ、持つ気もねえ、小児病の反抗世代。親の膝の上でわめいただけ。真っ当に汗流すもん、口先でこき下ろして。こき下ろさなきゃ居られなかったろ。生きもしねえ人生、正当化のために。

 アタマん中は手習い時代の観念だけ。実人生のクズ達よ。とっとと棺おけ行きな。お前らに望むもんなんざ絶無だ。