共和制の魂 その四  えせ共同体

 高度化しちゃった世の中のお里が知れて、「人情、自然たっぷり」のふるさと回帰ブーム。

 さあさいらっしゃい。手づくりものづくり、真っ当な汗で売り込むぺんぺん草の田舎。

 先日、やり手男にあった。白豚になっちゃった都会の人たちと交流。頭でっかちの餓鬼んちょ共に、作法、生き方、自然教える学校とか。

 この男にゃ、始めた頃関わったことがあった。たまたま出くわし、ぼけっと見てるのも悪りいので、泥んこん中一緒に俵かつぎ。出来ることはやるさ。

 そのうち仕組み作る、教科書作る等々で駆け回り始め、テキストだか何んかにゃ、その昔の文部大臣・総理のお言葉まで。いつの間にやら講演にも登場。

 久しぶりなんでやあと声かけたら、もうあんた要らねえ。もっと上と付き合ってるとか。補助金の窓口でもねえしね。

 先日の、田舎におめおめ残った訳を、聞きもしねえのにべらぺらしゃべり出したおっさんは、こいつと同じ村。もぬけの殻の田舎どうすんべえかの集まりで、息子は医者で首都圏住まいと聞きもしねえのに言ってきた爺さんも、こいつのお仲間だったね。

 説教好き、教育好き、学校のセンセイのたぐいを俺が絶対信用しねえのは、「上」に立ちたがるからだ。何んかの尺度に照らして。この性根が動機、本心だからだ。人間劣化の根本原因。魂は絶対に育たねえ。ふっくら膨らむ魂は。

 人間は整理整頓秩序ん中じゃ誰だって、真っ当な汗抜きの白豚になる。回りに自然がたっぷりあるかどうかなんて、何ぁ〜んの関係もねえ。荒れた田畑ぺんぺん草の上昇の糞田舎がいい例。糞田舎もんの集まりの東京がいい例。以前一緒に仕事した、敗戦で特攻になりそこねの糞坊主は、憎悪込めて言った。いけ好かねえ新東京人と。魂無くした上昇のズルしゃも。ここだけ気が合ったね。大喧嘩して分かれたけど。

 人は、いろんな関わりん中で育つ。いわゆる上から目線、説教じゃねえ、教育の名の檻ん中じゃねえ、たまたま偶然の道端の関わりん中で。そうしてつながる餓鬼んちょ共の群れの中で。自然だって然り。お膳立て、線引きされねえ森、木立ち。こういう中じゃ育つこともあるさ。真っ当、無方向、ふっくら膨らむ想像力と魂が。孤独の山猿九州女、山崎ハコの歌にゃそれがあるべ。多少でこぼこでもいいさ。自前の魂。

 人の商売、とやかく言わねえ。だがそれはどこまで行っても商売、野望、欲望、魂胆。お体裁の金看板、付けなきゃいいんさ。さあさいらっしゃい、羊頭狗肉の野外パーティー。揉み手だけして呼びかけてな。あっけらかんの銭儲けはいい。似非(えせ)が一番いけねえ。

 ほんとに好きで自然の中、巷の中。この手の餓鬼は、どこに居たって育つさ。


 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。どんなにしんどくても。


(追伸)
 毎度おなじみハコ。しばしテーマソング。

 http://www.youtube.com/watch?v=gvpNFLtzxR4