風呂上りのひとり言  ―マスのゴミか、ゴミのマスか―

 マスゴミなんて言い方がこの頃あるが、言い得て妙とはこのこと。

 撮影屋時代から数えりゃ37年。否応なく関わることあった俺は、言わんとするところ骨身に沁みて実感してきた。

 文はめんど臭いので、ゴミなる理由を箇条書きした。

○自分は頭いいと思ってる。
○世間が狭い。娑婆の実人生知らねえ。知る気もねえ。
○想像力絶無。言われたことの整理だけ。感性体感(人間感じるセンサー)ねえので当たりめえの話。
○商売柄リベラル面しても、本音は腹の底から信じてる。偏差値、科挙に根ざした特権。階級性。
○頭悪い種族、馬鹿であるべき階級(例えばおいらのような野良犬)がウカツに「同等以上」のことやると、憎悪剥き出す。出来たのはたまたま偶然に過ぎねえ理由を、わざわざ探して教えに来る。
○俺はこう思うなんてもん絶無。なので上なる奴にゃステレオタイプの批判。または無批判迎合の尻尾振り。
○下なる奴にゃ共鳴抜きの同情だけ。なので同情越えたこと始めると、袋叩き始める。
○自分の懐の金は自分のものと信じて疑わねえ。たまに施したつもりになると、死ぬほど恩に着せる。
○最近のマスコミは…なんて言い方するが、もっとずっと遥かな昔から、明治の初期前期、政治屋周辺でゴロ巻きだした頃からちっとも変わらん習性だと俺は思ってる。

 これすなわち、科挙偏差値組織人の普遍の習性。官僚社会なんて言うけど、民間面の宦官官僚ほどたち悪りいもんねえのは、つくづく見てきた。味わってきた。大卒首都圏・東京人に普遍の習性。こいつらに迎合の田舎もん、ぱ〜でんねんに共通の習性。


  共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。