深夜のひとり言 ―遅れて来た阿呆― 

「♪労働に打ち鍛えて 実らせよ学問を」。俺が餓鬼の頃の歌。

 餓鬼の頃俺はうかつにも、大学ってのは本気でもの考えるとこだと思ってた。

 事実はまるでそうじゃなかった。有りもん在りもんの上に、有りもん乗っけるだけ。出来合い、二次製品の脳みそ、生き方。右だろうが左だろうが、思想言う奴だろうが遊び呆けのぱ〜だろうが。意識の構造が。

 自分ばらし解体し、生身の体で感じる。こんな奴は一人もいなかった。腐れ「団塊」の時代。有りもんの自分有りもんで解釈。豚眠のまま終わる世代。

 「♪労働に打ち鍛えて 実らせよ学問を」

 こんな時代あったわけねえべと、幻想醒めた俺は思った。今もほとんど思ってる。

 だが稀に、真っ当な奴に出くわすことはある。この頃の時代の者で。

 十数年前、今は共学になったある女子高の七十年史だか作った。600ページの記念誌。資料漁り・聞き取りから構成・執筆・本の割り付け、古い写真の接写まで、全部一人で仕上げた。

 戦前、戦中、戦後。聞き取り取材の中じゃ、いろんなおばさんに出会った。その中でよく覚えてるのは、敗戦後の1953〜4年頃、女子高の夜学に入ったおばさんの話。中学で就職するものと思い、就職斡旋に来た職安担当者と面接。その時たまたま担当者から、夜学の存在を教えてもらったとか。「先生も誰も、夜学があるなんて教えてくれなかった。その人が『どうだ』と勧めてくれなけりゃ、そのまま就職だけしてた。夜学に入り四年間、ほんとうに砂が水吸い込むように勉強した」。

 おばさんが何をどう勉強したかは知らねえ。だが「砂が水吸い込むように」。そう言うおばさんの表情と目の輝きは、今もはっきり思い出す。

 その時の職安担当者は、戦地から帰還して27か8で夜学に入り、生徒会長してた生徒だった。当時も夜学は共学だった。

 この生徒がその頃書いたものを、資料の中からたまたま見つけた。それは当時の彼の回想記だった。「私は戦争に行って勉強できなかった。だから帰っていったん勤めてから、新制高に出来た夜学に入った」。この人物は近くの町に健在だったので、電話でおばさんの話をした。あちらも覚えてた。自分の経験を人に分けるつもりだったという意味のことを言った。

 この手の人達に出くわすのが、近現代の歴史、人物史の面白さだった。「♪労働に打ち鍛えて…」。そういう時代は確かにあったんだろ。ある人々の周りにゃ。俺の時代も稀にいた苦学生面にゃ、同情も共感もまるで無かったが。

 「♪労働に打ち鍛えて…」。この手の歌はひっそりと、一人で想うのがいい。