トータルなものとしての人間

 人は自分自身の内側にトータルな世界を持つ。

 このことの自覚は絶対に大事だ。頭で逆立ちして歩く口先自立じゃねえ、地に足付けて真っ当に生きる自立者=生活者にとって。

 生活は、生活者は本来トータルだ。トータルに感じる力が無けりゃ、土壌が作れねえからだ。真っ当な次代を育むための。

 ダイコン一本でも育ててみろってのはこのこと。全体感じる力がねえ上っ面、根無し草、見てくれ知識じゃ、中はすかすか養分欠乏のはったりダイコンしか育たねえさ。見栄体裁、手前勝手な目的合理性、損得打算の性根からは。

 経済、経理、財務は、ゼニ金は大事さ。だがそれは指標だ。トータルな世界で踏ん張るための。トータルな世界で何とか生き延びるための。そんなとこに、真っ当な人生の目的はねえ。

 トータルに感じる力を持つ者。この手の者は世の随所にいる。そして必ず艱難に出くわす。明治このかた、この国の社会、政治、経済は、上っ面の目的合理性でひた走ってきたからだ。異を唱えたフリの左翼、市民共も含めて。頭でっかちってことさ。自分の中から、自分の足元から拾おうとせず、体のいいお墨付きの知識(経験、感性、実体験抜け落ちのがらんどう)のケツだけ追っかけて来たんだからね。

 踏ん張れ。トータルに感じる者達。見栄体裁、ええとこ取り、上っ面の奇麗事になびかねえで黙々生きる人民達よ。自分という大地にあらゆる養分蓄えて生きる生活者よ。
 
 トータル装うヘンテコリンな神共に、もう騙されちゃ駄目だぜ。目先の損得打算追う貧民に成り下がっちゃ駄目だぜ。どんなにボロ着込んだって。


 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。