協同

 共同でもいいけどね。

 協同ってのは、共和制社会の一つの大事なベースだと思ってる。思想生き方のホンモノ性(あんたほんとにやってんの?)。これが如実に出るからだ。人と人との関わりで。

 一人ひとり、労働者であり経営者、消費者。一人一票の平等。

 中世のギルド・職人世界の尾引くイギリス労働者社会で原型ができた、思想・生き方と仕組み。

 職人ってのがミソと俺は思ってる。一徹。この要素は男にゃ大事。(女のことまで俺にゃ分からん)。

 アタマ固てえってのとは全然違う。これは二十代の頃、師匠なる男から学んだ。

 アタマは柔らかくなきゃいけねえ。けど曲げちゃいけねえもんはある。体感実感、生き方ん中でつかみ、護るしかねえもの。てめえ自身の汗と孤独ん中でつかむもの。

 職人同士のつながりってのは、こういうもんだと俺は思ってる。いろんな奴はいるにしても、ベースはこれだ。誰に言われるでもねえ人の道理。こう言ったっていい。自分の胸に手ぇ当てて探るもの。

 寺子屋じゃ教えるやつはいたかも。ガッコウじゃ絶対無理。

 協同の原理。それはこいつがねえと成り立たねえ。だからほとんど成り立たねえ。空想社会主義? そうだよ。

 はっきり言って、「人の主体性に委ねる」なんてもんは全部が全部空想、空想社会主義。友愛なんて、甘くてとろける真夏のソフトクリーム。その通りさ。

 だが忘れちゃいけねえぜ。「リアルな近代化思想」の共産主義、明治手製の国家資本主義、それを支える天皇制モラルの「道徳」主義が、ムチで人しばき上げるファッショ・全体主義だったってことをね。

 その心は―。現実主義・リアリズムなんてもんは、口先と腹は別、目先の利益に突っ走り、人目ねえとこじゃ何んでもやり、弱いと見りゃ徹底的に脅ししばいて吸い尽くす―、この手の貧民共を力ずくでこき使う思想ってこと。または人見る基準をそこに置く思想ってこと。社会の最低限の人性・獣性基準に物事仕組みゃ、そりゃ「リアル」に人支配できる。一定期間は。

 リアリズム。言い方変えりゃ「上から目線」、人馬鹿にした思想ってこと。知ったつもりで実は全然知らねえ。ものごと興す、ヒトの情熱情念の淵源を。

 親のスネかじって空想夢想吹き上げる二世三世・青年会議所政党=自民党がまたぞろ言い出したべ。徴兵制。人民はしばき上げなきゃ何んにもしねえ。支配者共の空想社会主義。または怖いんだね。自由放任が。寝首かかれるかも知れないもんね。既得権の。

 一人一票の協同、平等。六十年の人生の間、けっこうあちこちで実験し、見学もした。そのほとんどは失敗、空想社会主義。簡単に夜逃げ、だし抜けできるもんね。権利と責任、あんたに委ねますなんて。

 期限付き仕事だったけど、うまく行ったことはあった。集団・組織ん中に3人、汗流してつかんだ娑婆の道理、人の道理で動く奴がいて。

 数十人程度の集団ならこいつで動く。共鳴共感、協同の原理で。

 組織が空転、崩壊始める端緒は、中にゃ必ず何人かいる劣情打算の輩に引きずられ始めた時。持続の意思が三つありゃ食い止められる。人にゃ誰にも道理の心はある。一押ししてやりゃいいのだ。挫く言動を主流にしねえで。

 民主党などは今度、官庁許認可のひも付きじゃねえ、一人一票、誰でも興せる協同組織の法案提出するとか。結構な話。百年来の人民の念願。ぜひ通してくれや。

 協同組織ってのは危うい。かき回す奴が出りゃ案外もろく崩れる。怠け者、裏表、打算劣情の輩がはびこれば、簡単に崩壊する。

 昔、保険分野の労働者協組の爺さんは言った。「一人一票の平等ってのはやべえ。怨望劣情を思想に乗せて正当化する輩や組織(労働組合のことさ)に、簡単に乗っ取られる。なにせ誰でも平等だからな」

 株式会社組織に切り替えた土建会社の親父は言った。「平等ってのはいいんだが。ぐいぐい働き引っ張る奴とそうじゃねえ奴は、必ず出る。どっちにも不満は当然でるさ。なら自分の金でやりてえことやった方が―」。

 そう。まずはやってみりゃいいんさ。やってみて、続きゃそれでいいし、続かなきゃそこでまた考える。だが閉じ込めちゃいけねえ。人の意思。人の可能性。

 労働者・人民自主管理の思想と実践は、戦前戦後も常にあった。だがそれは常に認められなかった。社会転覆を、アカの資金源になるのを恐れて。または支配者センスで小馬鹿にして。なのでできたのは全部ひも付き、監視付き。戦前の国家統制・大政翼賛・産業組合の亜流。

 「労働」者なる輩も実際ぱ〜だったさ。地道な活動小馬鹿にするのは、学生運動も労働運動も、ちっとも変わらねえ。体制なるもんの裏返しだからね。脳みその構造が。労組上がりの手合い見りゃ分かるべ。今でも。

 まずはやってみる。自分の意思で。その組織的実践が、生活者としての実践が、協同共同の組織だと俺は思ってる。やってみりゃいいんさ。真夏の夜のソフトクリーム。やってみて、やらしてみてから言やいいんさ。駄目なら駄目と。それを決めるのは実践者だ。傍観者じゃねえ。

 自由とは何か。意思とは何か。平等とは何か。経済とは何か。働くとは何か。売るとは何か。買うとは何か。生活とは何か。家庭とは、男と女とは何か。共同体とは、コミュニティとは何か。人とは、人の関わりとは何か。

 こういうもん骨身に沁みるにゃ、この手の平等、自由、協同責任の組織は最適だ。共和制の基幹の一つってのは、この意味だ。

 駄目と思ったら、協同無責任と感じたら、またそこからスタートすりゃいいんさ。自分の才覚意欲、自由意志で。株式会社でもいいさ。自営業でもいいさ。またぞろ別に協同作ったっていいさ。それが人の創造、人の活力だ。

 「上から目線」のこき下ろし、評論、規制なんざ糞食らえ。人民に自由をってのはこのこと。自由の中で人民自身鍛えるさ。経済とは、ゼニ金とは、暮らしとは、共同性とは、生きるとは、護るとは、闘うとは何かを。権威戴く糞構造の中で「教育」徴兵夢想するばんぼん二世、雇われ経営者共の出番なんざ、もうどこにもねえさ。暮らしと労働の本質を、ヒトが忘れねえ限りはね。


 共鳴共感、義理人情、ヒトの並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。