面白くねえから売れなくなった

 本が売れねえとは久しく言われること。もう三十年以上の話じゃねえかな。

 俺について言や、1977年からパタッと買わなくなった。なぜだか時期は、はっきり覚えてる。

 大阪梅田の旭屋だったか。(まだあるんかいな)。買いてえ本無くなったなあと棚見上げたの、よく覚えてる。

 先日嫁さんが、町の図書館で不用になった本、何冊かもらってきた。中になぜか小田実という、昔べ平連だかやったおっさんの本が入ってた。

 ヘエと思い手に取ったら、発行は1970年。出版社の宣伝チラシそのまま入ってるとこ見ると、誰もあんまり読まなかったんだろ。

 俺は小田の本、小田的な者達の本は、当時買わなかった。何書いてるか以前に、中身スカスカって感じがした。何んかの片手間に書いた、社会の風潮、一般論に多少味付けした程度のルポ本、ルポライター本。概ねあたってたと思ってる。

 ちょっと手に取ってみて感じた。結構ちゃんと書いてるな。密度あるな―。

 小田って男が案外真面目な奴だったせいもあるんかも知れねえなと思いつつ、もう片方の思いが浮かんだ。今の時代だから、そう見えるんじゃねえかな―。

 嫁さん子供連れ、田舎に舞い戻って4年目頃。1984年だったか。地方文化なるもん掲げ、本音は田舎のお体裁人種、善人共の懐の金。この手の羊頭狗肉出版社の編集屋が、俺に文句言って来た。「何んだい。あんたが紹介してくれたあの子」。

 「あの子」とは、今は東京界隈のテレビなんかに結構顔出す、何んやら評論家のおばちゃん。その1、2年前、たまたま何んかの仕事で関わった。ルポライターだったんかな。当時は。

 「田舎の知り合いの自伝本作りたいけど、どっか紹介して」。そう言って来たので、そこ紹介した。ほかと比べりゃマシだったので。誤字脱字やゼニ金誤魔化しのたぐい、ほかよりゃなかったので。

 「段落じゃなく、文章1センテンスごとに改行してくれってんだ。東京じゃ今、皆そうしてると言って」と編集屋。「版下全部作り直さなきゃ」。当時活字は写植屋が打ち、版下はペタペタ糊付けだったからね。

 一冊に仕立てるにゃ足りねえ文章。これ増量するための改行要求。そんなことはアホでも分かる。「東京じゃ普通にやってる」で押し切ったとか。

 羊頭狗肉出版社は「大赤字」とか言って、向こうが勝手に約束した紹介料も踏み倒した。汗無しの口利き。そんなもんで人の金ピンはねする気も無かったけど。その手の仕来たりだか仕組みだか「あの子」も知ってて、一応善意で俺に橋渡しさせたんだろ。

 出版社なんてもんは、東京でもこの程度だべと俺は思ってる。赤字だろうが黒字だろうが約束は約束。娑婆の当たり前の常識。こいつ平気で踏み倒す。主観的にゃ体のいい理由付けて。学生上がり、学生運動上がり、俺達ゃ正義の労働運動。建前引きずるクズ人生の常套のやり口。

 一文ごとに改行。東京じゃ普通。普通だったんだろね。やり方も頭ん中も。この手の尻軽ライターは散々見た。

 見るたびなぜか重なった。デモ隊の後ろでポンと石投げ、前の奴らがパクられるの尻目にスタコラ。茶店でお茶飲み自慢話。昔ゃよくいたぱ〜学生。この手の「要領」が、諸々を崩壊させたと感じてる。本作りも、他の諸々の仕事も。

 本が売れなくなったと嘆く。嘆くこたぁねえさ。自業自得。面白くねえから。中身ねえから。真っ当な人生匂わねえから。