単細胞・偏差値頭脳と帝国明治のピラミッド  

 時間ねえから手短に。

 歴史に体当たりしたことねえ奴にゃ理解不能だろけどね。学歴偏差値ベースの序列で生きる組織人達―官僚は言うに及ばず世のほとんどのサラリーマン種族―は、帝国明治のピラミッドの完成形の住人だ。嫁さんまでも。

 帝国明治の頃はそれでも、工業、農業、商業分野はそれなりに並立の形で学校制度が成り立ってた。「国家の中堅養成」(日露戦争頃の教育用語)の中学―高校―帝大ラインとは別に。いわゆる複線型(分岐型とも言うらしいね。小学校は皆一緒。その後枝分かれするので)。

 本音は「中堅」がエバってたけど、職業学校は「落ちこぼれ」が流れ込む傾向はあったけど、それでも自立の精神はあった。娑婆の実業に一応根ざすところの。

 敗戦後は一変した。頂点一つの単線型。他の並立は「国家の中堅養成」に全部吸収。東大が天辺ってこと。工も農も商も、教員養成や女子教育なるもんも。帝国明治のピラミッドは、むしろ敗戦後完成ってのは、このこと。

 帝国明治と一つ違うのは、偏差値に根ざした人間差別が物欲と結び付いて露骨になったこと。娑婆の実業に根ざした心意気のたぐいが消失して。現場の経験なるもんが軽んじられるようになったのは、技術革新のせいだけじゃねえべ。

 これじゃ世の中、ヘンになるのは当たり前。ノイローゼになったり、鬱になったり。虚構ん中、ニンジン目当てに駆けてるだけだもんね。体感、実感(ほんとの意欲、興味、好奇心)消し飛んで。

 「学歴は収入に比例する」って奴の根っこも、ここにあると俺は思ってる。「馬鹿」はただの馬鹿だもんね。単細胞のピラミッドん中じゃ。

 脱線すると落ちこぼれ。落ちこぼれて(現実の娑婆で生きて)つかんだもんなんかウンコ扱い。そうしねえと、虚構ん中の朱子学上がり(アタマでお勉強、先例踏襲)が持たねえもんね。雪国親父・田中角栄なんか象徴。ウンコ扱いの。

 昔はこの手の差別ちょろまかすにゃ、いい手があった。天皇制の一体感、道徳、モラル。今も「中央」官僚の中にゃ、この手の郷愁吹きまわる馬鹿がいるべ。

 皇室なるもんがニュースになるたび、マスゴミ共が「遠慮」するのは、恐いんだべ。社会のダニの隠れみの=チンピラ学園国家の応援団含めて。

 虚構の心理にゃ不安が付きまとう。減点法の心理にゃとりわけ。偏差値教育って奴はうまく出来てる。

 上から突っつきゃ黙り込むさ。今も続く在りもの解釈の学=朱子学仕様の虚構に乗り、虚構恐れるインテリ頭脳の宿命。

 複線は大事さ。並立は大事さ。社会や娑婆の実質に、一人ひとりの汗や生き方に根ざすところのね。原動力はこれだぜ。いつの世も。

 ヘンなもん、ポンと上に置いちゃ駄目だぜ。国家の専権事項なんてのにちょろまかされちゃ駄目だぜ。


 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。