再び協同 

 「協同」って奴は絶対に必要と俺は思ってる。


※以下引用

高い給料でなくても平等な関係
「協同労働」のススメ

 マスメディア上では「格差社会」が叫ばれ、ワーキングプアの人たちは「負け組」というレッテルを貼られている。もちろん、生活を成り立たせるための所得は必要だ。ただ…「貨幣価値だけで測られているような“負け組”という位置づけは、違うのではないか」

 …「平等な関係の中だからこそ、できるつながりがある。そんなに高い給料でなくても、きっと、そこに救われる人たちがいる。あるいは、それをステップにして、再び経済社会の中に戻っていく人たちもいるかもしれない」

 …雇用破壊が叫ばれる中で、「みんなが出資し、みんなで経営し、みんなで働く」という働き方を保障する「協同労働の協同組合法(仮称)」の法制化を目指す「1000人規模」の大集会。すでに、超党派の国会議員連盟には193人が名を連ね、今通常国会で法案が提出され、5月には衆参両院を通過することが予想されているという。

 …社会変革が起こってくれることを期待しつつ、小澤さんも今は、その“変革”のうねりの真ん中で、フォーラムの準備に追われている。

(DIAMOND ONLINE 2010.4.15)


 こういうものは、ぜひやってみればいいのだ。こういうもんの中にゃ、いろんな嘘や偽善が隠されてる。

 この手のもんとの関わり含めて娑婆渡った経験から言や、協同が真っ当に成功する可能性は、極めてと言っていいほど低い。

 それでも俺は言うさ。ぜひやってみりゃいいのだ。人間のほんとの強さが試される。

 引用の中にもあるが、この手の中で嫌でも出くわす人間のずるさや奇麗事、怠けの性根に絶望して、金も人格の一部の株式会社興したっていいさ。人はアタマじゃねえ、体で実体験でその種のものに出くわすのは必要だ。

 もう一つ。協同労働の世界は、実体としてぜひ実現するべきだと俺は思ってる。社会の主流じゃなくたって、全然構わねえ。

 この国の歴代権力は、人間の弱さ、ずるさ、ど汚なさに精通して人間支配のガチガチの仕組みを作った徳川家康の昔から、人民(何しでかすか分からねえ輩)の度胸・勇気、主体性を挫く形で権力維持を図ってきた。これはついこの間の自民党政権まで、ちっとも変わらなかった。精神、性根において。(この手の奴ら再生産のセイネン会議所なんてとこに行ってみな。人間見下し・思い上がりの二世三世坊ちゃんが、お手盛り・空中楼閣の懐メロ観念論吐いてるさ)。

 人間見下しは、権力もかつての学生運動や労組のたぐいも全然変わらなかった。この手の奴らの脳みそのフォーマットは、相も変わらず家康仕様(封建サラリーマン養成仕様)だったからね。

 協同労働の協同組合。旗振ってる奴らの大半も、今もこの程度ってのを俺は知ってる。腹ん中じゃ人見下す、猛烈な偽善野郎共。

 それでも俺は言うさ。ぜひやってみろ。そして成功させろ。

 人間の自立ってもんが、精神・行動ともに試されるからだ。人の並立の意味が、真っ当な暮らしが、人間のほんまもんの強さが試されるからだ。

 俺は大賛成だ。この手の法を誘導する限り、どんなにドジでも腐ってても、民主党はひとます支持さ。


 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。