小児病と自立

 社民党ってのは、戦後の社会党時代からまるで変わらず小児病のまんまだ。

 同胞沖縄人の命云々を言うのはいい。だが政治屋は、自立した構想力あっての商売だべ? あなた任せの無辜(むこ)の民装ってわいわいがやがやのやから(親方日の丸労組や学生、学生運動くずれ、市民小市民、アタマでっかち奇麗事学者、インテリ、マスコミ)と一緒になって、抵抗の赤旗振って何十年ってんじゃ、権力権威に駄々こねておこぼれくすねる餓鬼とどこが変わる。ていうか、そのものだったべ? 被害者意識売りにて「父親」自民と裏取り引き。こんなこたぁ1960年、とっくに言われてた。それから数えたって半世紀。失せな。

 自立した構想力? 汗流して、体張って身に付けた人間観、国家観、世界観持って、生身の現実目ん玉ひん剥いて見て、立憲立法、政策進めるってこと。あなた任せの無辜の民が泣こうがわめこうが。

 他人にいい顔することじゃねえさ。民主主義。自分の魂に、真っ当な心のメカニズムに従うってこと。お天道様(作る者なら、真っ当な労働者なら必ず感じる人と自然の摂理)が見てる。こいつだけ信じて。


 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。


(追伸)

 沖縄人の思いが大事と言われりゃ、ウンそうだその通りと言葉に気持ちを沁み込ます。国防の現実がこうだと言われりゃ、ウンそうだその通りと相手に気持ちを沁み込ます。ぼんぼん首相・鳩の感情移入癖。これじゃ駄目ってこと。何より大事なのは、生きてるのは自分っていう強烈な実感自覚、体感だ。こいつがなけりゃ、人との真っ当な関係は作れねえ。主体がねえんだからね。人の痛みだって、ほんとにゃ分からねえさ。