水と油の協働


 水と油の協働。

 男と女のことさ。

 男と女は水と油。こいつは俺の六十年の人生の実感だ。根本で食い違う。生き抜く本能が違うのだ。

 男ってのは一か八かに、体当たりの人生に賭ける。女ってのは日々の確かな糧を生きる。こいつはどうにも間違いねえ。

 俺は嫁さんと何度喧嘩したか分からねえ。振り返りゃ、総てはこの辺にあった気がする。乏しい金。限られた時間と体力。こいつをどう使うか。

 この国の知者文人(古今伝授の言葉や知識、モラルをウ呑みにして制度の上を小狡く立ち回る人種)にゃ珍しく、生身の娑婆の人生と自前の経験を土台に思考を巡らした坂口安吾は、うめえことを言った。武士道(武士階級のモラル、家制度)は、女の本性を熟知した男の創作物と。男の安心、見栄体裁、既得権(財産権や決定権)を護るために。男と女(実生活)を切り離して、統治の秩序と構造のために男の能天気を使い倒すために。

 女ってのは、男にとっちゃそれほど怖い存在ってこと。縛り付けとかねえとね。あの手この手で。

 昔、九州出の「フォーク」歌手が『♪亭主関白』(じゃなかった『♪関白宣言』)なんて歌を歌ってたが、あれが実はジョークでも何んでもねえらしいのは、九州男児なるやからと何人か袖摺りあわせてみてよく分かった。お手盛りの秩序が、説教屋の講壇が不可欠なのだ。この手の男らしさにゃ。

 麻原彰晃も、小林なんとかいう右翼風(かぜ)の漫画屋も、説教好きの武田なんとか、永渕なんとかなんて歌歌いも体質はこれだべ。ど田舎にも九州出は時折流れ込んで来るが、神棚奉っててめえ持ち上げる体質はどうにも変わらねえ。いつまで経っても、手ぇ替え品替え教育勅語。風土ってやつにゃ、ほんと根深けえもんがある。ちなみにこの手の「男らしさ」にゃ、ほんまもんの同胞愛や義理人情のたぐいは薄いんじゃねえかな。

 六十年の人生で身に沁みて実感したこと。男と女は水と油。こいつを骨身に沁みて実感し、腹に据えるのは不可欠ってこと。男にゃ。(女もそうかも知れねえが、俺は女じゃねえから男のことだけ言う。)

 相手を相手として、別人格として、人として認める。それはこいつとイコール。その上で男は「さて俺はどうするか」。身の振り方考えりゃいい。

 水と油。それが何んで引き合うのか。答えは単純。次代を、子を産み育てる協働のため。地上の生物発生以来の本能が、愛情がそこにゃ込められてる。水と油の気質の由来も。

 女にとっちゃ、男がもたらす物質的安定(エサ取って来ること)は何よりも大事。乳の時間は待った無しの生身のヒトを育てるんだもんね。赤子抱えちゃ働けねえもんね。

 こいつを無条件で受け入れるのが、オスの本質。体制権威道徳とつるんで自分持ち上げ、カッコ付け、恩着せ、交換条件なんざもってのほか。

 無条件じゃねえ男からは、無条件に女は逃げる資格を持つ。だから縛り付けるんさ、男は。あの手この手で。

 昔、雪国親父の土建屋宰相は「政治なんてのは家業商売まともにやって、それでも余力のある奴がやるもんだ」と言ったそうだけど(取り巻き共の創作話の臭いもするけど)、こいつは本質突いてる。男は身ぃ捨てて子育てしてから、子育ての嫁さん無条件で養ってから他のことやれってのと根は一緒。生きるとは、人民の暮らしとはそういうもん。教科書通りにゃ中々行かねえにしてもだ。

 権力権威利権とつるんでヘンな道徳創作して、逃げ道なんか作っちゃいけねえ。

 問題は、子をはらんだら開示する母性と違い、父性はずい分ずれてやってくること。たいがいの男にゃ。

 男の能天気なばくち人生に、母となった女はある日突然冷や水ぶっかける。父性はそこでようやく開示する。真っ当な男なら。

 俺は真っ当じゃねえから、ずい分喧嘩した。なんで俺の気持ちが分からねえ…。分かるわけねえさ。女も男も。

 嫌ならさっさと別れりゃいいのに、どうして延々徒労の喧嘩なんか―。今思や、ここにすべての答えはあった。水と油の協働の。早く悟りゃ良かったってだけの話。

 男と女がうまく行く秘訣。それは男が男の本性を捨てることじゃねえ。女が女の本性を捨てることじゃねえのと同じく。

 銀行の蛇口ひねりゃ金が出る二世三世、既得権の輩はいざ知らず、諸行無常(自由)が本質の娑婆に生きる真っ当なオスは、延々死ぬまで体当たりの人生に賭けるしかねえ。男の人生の苦労も面白さも実はそこにあるってのは、生物のオスに備わる本性なのだ。

 この本性の持続と再生産。それを生み出すのは、体当たり人生と表裏をなす男の無償の愛情だ。はかないもの、ほっとけねえものへの。それは子を産む女であり、相手に総てを委ねて生きるしかねえ赤ん坊、幼児、子供なのだ。

 男の本質はパッと散る桜でもなけりゃ、組織や体制にご奉公の滅私でも無私でもねえ。真っ当な次代を育てること、次代育てる家庭を無条件で護ること。ここに総ての始まりはある。

 男らしさも思想なるもんも、こいつが欠落してりゃ総てエセさ。


(追伸)

 わが家は長年、嫁さんの稼ぎ当て込まなきゃやってこれなかった。こいつは今も変わらねえ。だが男が男の本質を捨てた途端(女の稼ぎを当て込んだ途端)、家庭は崩壊すると思っている。