真夏の午後の馬鹿話
『♪聖母たちのララバイ』って歌が昔あった。
1982年だってね。サラリーマン辞めて2年後。
この歌聴いてどうにも思い出しちまうのは、その昔のサラリーマンのお仲間。居る時きゃ居る時でいいよなお前は、仕事が楽で。辞めたら辞めたで、いいよなお前は、辞められる奴は。貧乏こいたら貧乏こいたで、頼みもしねえのに追っかけて来て嘲笑。土手の上で。
全員唱和の末尾の一事を除きゃ、言ったのはどれも別人。共通するもんはある。サシで渡り合う奴はただの一人も居なかった。
銀行の蛇口ひねりゃ給金出る人生捨て、一人で世渡りしてみて気付いたこと。例えば補助金。最初に、または自分からおっぱじめる奴にゃ出ねえ仕組み。ていうか、この手の奴は、そんなもんの仕組みそのものに気が付かねえ。気にも留めねえから要求もねえ。
それがいいとは言わねえさ。嫁さん子供に、嫌でも苦労かけるからね。
そういう奴は何人も見た。最初に何んか作った百姓、土建屋、工場主…。今も俺は思う。それが普通だべ。人の原理としちゃ。
やせ我慢がいいなんて言わねえさ。元々馴染まねえってこと。補助金仕様の娑婆にゃ。
補助金仕様の娑婆。役人・センセイ・サラリーマン社会の別名。毎度受身、あなたまかせ(のふり)、こんな私に誰がしたの無辜の民。こいつに身ぃ置いて言われたことだけ、枠ん中のことだけ。損得利害の嗅覚はなぜか突出。うまいべ? カネ浮かすの。
良い子にゃエサやる仕組みも仕組み。この頃流行りの起業家支援なんてね。つい笑っちまう。
左翼(右翼もだべ)、学生運動、労働運動、市民運動の感覚なんかも、なぜか全部この手。人情なんかあるわきゃねえさ。生きてねえんだもんね。自分は。
聖母たちのララバイ。この街は戦場って、トウキョウだべ。傷負った戦士って、企業「戦士」だべ。
いじめ社会の篭の鳥。篭の鳥だから仲間いじめるんさ、敵じゃなくて。ニワトリ、平場で飼ってみりゃよく分かる。
聖母たちのララバイ。ブラックユーモアだべ。