感性体感と人の並立

 前も言ったが十年近く前、俺はまるで仕事を無くした。

 のめり込み、自腹切りつつの請け負い仕事。そこで相手とぶつかって。のめり込みゃ次の手なんか打っちゃねえ。その後延々失対仕事の日々だった。

 衝突の原因は毎度同じ。食うため嫌々始めても、始めりゃ色んなもんが見えてくる。

 ああ、これは…。体が、直感直観がそう思えば、掘り出すしか無くなる。

 「馬鹿だなお前。そういうもんはとっといて、後でやるんだよ」。ほんとにゃもの作ったこと無え奴の正論。

 人を掘り下げる。生きた歴史、息づかいを掘り下げる。気付いた時にやらなきゃ絶対に駄目。感じた時の熱い気持ち。視点そのものがそこから生まれているからだ。情熱情念だけじゃなく。

 あと一年時間をくれ。その間の暮らしの金も。百年前、八十年前から今に続く土地の人達の本意と思いを掘り出すために。資料にこもる敗戦前後の真っ当な思い、無念の思い、情熱情念。そこで生まれた戦後の流れを今に伝えるために。幕末・維新からの生身の人の感性を、流れとして表すために。

 体面のために作られた「編集」委員会。通じねえのは分かってた。体で書きゃ体が勝手に闘っちまう。頭じゃ無駄と分かっても。

 放り出された後を引き継いだのはその昔、「地方文化」掲げる羊頭狗肉出版社にいた男。一ヵ月で仕上げた。敗戦後の50余年の歩みを。年表に資料はめ込みゃ十日で出来る。もうかったべ。

 編集委員長だった元予科練じいさん。今も手紙くれる。絵描きの息子の展覧会のたびに。

 東京画壇じゃ芽が出なかった息子。パリの下町暮らしで開眼したとか。じいさん、建前人生を憎む気持ちは同じだった。散々喧嘩したが。

 恨んじゃいねえさ。爺さん。あんたはよくしてくれた。建前委員会相手に喧嘩した名無し権兵衛に。



 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。