くすぶり

 これは、あるブログに載せた俺のコメント。忙しい、時間が無い、こんなことやってれば食い詰める。そう思いながら、こんなものをまだ書く。何度もここで書いてきた話ではあるが。
 くすぶっているものが、まだある。


(※以下引用)

 劣化に関する一体験
 私は三十数年前、大阪のある放送局のニュースカメラマンでした。その頃私は、当時としてはユニークな記者レポートの撮影法を編み出し、実践したことがあります。これは報道局内で好評でした。しかし同行した記者(系列新聞社の役職の息子)は次回から、取材に関する事前情報を一切私に出さなくなりました。これをされるとカメラマンはお手上げ。指示通り、唯々諾々と撮るしかなくなるわけです。私はカメラマンという自分の領分で、自分の仕事をしたいだけでした。
 縦社会、仲良しクラブ(都合のいい者同士の)の体質に嫌気がさして辞めた後も、食い詰めた私は何年か、地方の新設テレビ局と関わったことがあります。そこで番組取材中、たまたま行政の環境アセスメントの誤魔化しをみつけ、取材しようとしましたが、あからさまな圧力であっさり潰されました。この時私は圧力をかけて来た行政よりも、圧力をそのまま受け入れ取材を潰したテレビ局の方に腹が立ちました。普段は、地方人のおとなしさや主体性の無さを馬鹿にしていた東京のラジオ局天下りの管理職は、豹変して私を呼びつけて怒鳴り、私も彼を罵倒して業界との関係は終わりました。十九年前の出来事です。
 この時のもう一つの出来事も忘れられません。管理職が私を呼びつける前夜、東京の下請け会社から出向したか天下ったかの男が、「自主的」に手を引くようにと、やくざまがいの脅しの電話をわが家にかけてきたのです。彼の意だなと直感して怒鳴り返し、翌日の衝突となったわけです。
 東京の下請け孫請けが、タコ部屋まがいの職場で散々こき使われている(殴られ、先輩のパンツまで洗わされる等々)話は、田舎に戻った者達に聞かされていましたので、ああこのやり口だなと思ったものです。そうした中、「親」の覚えめでたい者、その種の要領に長けた者が、あわよくば地方の新設局の社員や、新設下請けの頭目になれるということも。
 今もたまには、この業界の者と出くわすことはあります。「親」の尊大さ、「子」や「孫」のあきらめ、卑屈さ、唯々諾々は、とうに血肉となった印象があるのみです。
(追伸)
 この種の構造を嗅ぎ分け、居住者の心(不遜や虚栄心等々)を嗅ぎ分け、そこを突いて取り入り、仕事を仕組み、意に沿うように内容をねじ曲げ、上り詰めようとする者は必ず現れます。人の心の多様を認めない縦社会、「民」は装いだけの官僚制社会では。