ひとつところを掘ってけば…
四、五年前も書いたが三十一年前、嫁さん子供達と田舎に舞い戻った最初の年。たまたま、ある田舎暮らしの作家に会った。食い詰めて始めたやっつけ仕事で。冬間近、冷え切った岩山のふもとに家はあった。
憧れの田舎暮らし。そんなもん、まるで流行らぬその頃のこと。彼は世捨て人同然だった。今も思い出すのは、傍らにいた妻とおぼしき人の不安げな目。暮らしはしんどいに違いなかった。そいつがなぜか見えたのは、わが家自体そうだったからだ。
色々話す中、作家が言った一言は、今もはっきり思い出す。「ひとつところを掘ってけば、世界に通じる」。何んでわざわざこんな場所に。そう聞いた時だった。
荒涼とした景色と共に思い出すその言葉。苦しい一言だったろうと今も思う。
だがそれは確かに、俺の思いでもあった。おうそうだとは、とても言う気にゃならなかったが。
ひとつところを掘ってけば…。それは機械でも彫刻でもジャガイモでも、何んだっていい、本気でものを作ろうと思った者が、誰でも抱く思いじゃないかと俺は思っている。
色々漁ってつかむものは、案外無い。自分が生きる。このことにおいては。思えば当たり前。山ん中の爺さんだって面白い爺さんはいる。
作家がその後、いい作品を作ったかどうかは知らない。苦しまぎれの一言で俺にゃ十分。穴掘るさ。せっせと。これが俺の穴。そう思えば意固地にもならんべ。
共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。