ひとつところを掘ってけば… その2

 「共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム


 この宣伝文句の中で一番大事なのは、「人の並立」だと俺は思っている。共鳴共感も義理人情も人民民主も共和制も、一人ひとりのインターナショナリズムも全部ここに発するからだ。

 人の並立。これを骨の髄から覚醒することは、にっちもさっちも行かない人の宿痾(しゅくあ)、ひがみや嫉妬のたぐいをかなりの部分拭い去ると俺は思っている。俺自身の経験で。

 人の並立。こいつをほんとにつかみ取りたけりゃ、自分自身の、自前の穴を掘ることだ。今立つ自分の足元に。

 何んのことは無い。一生懸命やるってだけのこと。今自分のやることを。職人気質とまるでイコールと思ってもらっていい。そうすりゃ嫌でも、ひとつところを掘ることになる。深く深くふか〜く。

 ひとつところを掘る。それが娑婆じゃ、ずい分損な生き方になり易いのを俺は知っている。てより散々経験した。いい例が、俺がひと月寝食忘れてもの作りしている間に、「相棒」は自分の取り分の仕組みばかりしっかり作っていた。こんなもんだべ。たいがい。

 職人的人生が必ず出くわす娑婆の出来事には、次のようなものもある。やっと出来上がったと思うのもつかの間、役人共がちょこちょこかけ付けて、あんたそれは無認可、違法、課税対象…。昨日まで応援づらのギャラリーも、いつの間にやら向こう側。

 この体質のこの国じゃ、まわりキョトキョトきょろきょろ人、世渡り用の平均的知識ばかり頭に詰め込む人種が多くなる。

 それでも俺は言う。自分の穴を掘れ。自分のために。深く深くふか〜く。

 これは突き詰めて言えば、人間を知るのとそのままイコールなのだ。人ひとりの人生。それぞれの、人と並立の人生。はっきり言って実存を。

 これに発しないところの平均的知性が、人ひとり生きることに於いては糞の役にも立たないことを、役に立たないばかりか嫉妬や差別の性根しか生み出さないことを、俺は知っている。生身の人の集団=家庭家族も真っ当に護れないのを。

 なぜならそこには、自分と言える人生は無いからだ。自分と言える人生が無いところには、姑息な性根ばかりが蔓延するからだ。だからすがるのだ。権威や力に。体系に。生身のヒトを腐らせる虚構に。



 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。


(おまけ)

 「『先生の不肖の弟子ですが…』小沢元代表が(二階堂進の墓)墓参」
                         (読売オンライン、2011年2月3日(木)18:47)

 そういや、俺はなぜか二階堂が好きだった。