破壊と創造
かつて三島由紀夫は言った。
会いに来たという田舎者の闖入者に。
軽蔑を込めてと、わざわざ言い添えて。
お前は、俺達の与り知らぬ荒野から来たのだと。
そう。みんな荒野からだ。新たなものは。バルバロイとして。
そうしてローマは、古代の市民社会は滅びた。
三島は自分が、上げ底の砂糖菓子箱の住人というのを知っていた。
その後ろめたさ、馬鹿馬鹿しさの思いの暴発が、あの手の死に様だったと俺は思っている。
出来合い社会と荒ぶる神(自然)の合一。明治がやったことと同じ。
擬似の自然や神なんかじゃ駄目さ。誰がやったって。
ほんとにそれに気が付かなきゃ、バルバロイにやられるだけ。いつの世も。
あんたに出来るかい? あんな馬鹿げた死に様じゃねえところで。生きる中で。
あんた自身に根深く巣食う、出来合い社会の上げ底。こいつの破壊が。
共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。