解体すべきは何んなのか (他で記したコメントの転記)

 まともな人生を送る者なら誰でもすぐに気が付く話だろうと思いますが、マスコミ界に棲息する者達というのは、偏差値的な価値観(虚構の知)にすがり付く空虚なお坊ちゃん集団なのだろうと思います。私自身何度も体験しましたが、彼らは自分よりも下と見る者の業績等々は、それこそ執拗にこき下ろす習性を、ほぼ例外なく持ち合わせています。教育なる場所で仕込まれた虚構(で悪ければ仮構)の知よりも、人が実体験から抽出した知のたぐいの方が説得力や表現力があるのは当たり前の話なのですが、これは死んでも認めたくない。いわゆるエリート記者達と関わる中で、この種の馬鹿げた体験をした者は相当数いるだろうと思っています。世知にたけた非エリート達がまず身に付ける処世は、彼らの前では決して優位性のたぐいは見せないこと。この暗黙の約束事の上にこの国の階層構造は成り立っていると言っていいのだろうと思います。例えばかつて、禁を破った「土建屋宰相」があれほど貶められたベースには、封建期に形成され、明治期に官僚エリート養成のために再構築され、今では民衆の中ですら無批判に受け継がれている静的・朱子学的な知の階層構造―、これに根ざした差別の意識と感情があったのだろうと思います。実在に根ざした意思も強さも持ち合わせない空虚な知。この種のものの上に腰掛ける者達が、その場や目先の損得打算(空気)で態度を決め、良心のかけらも無い言葉を書き連ねて生身の人を追い落とすのは、むしろ当然の成り行きなのだろうと思う次第です。