必要な宗教改革的改革 (あるコメント欄用原稿)

 敗戦後ある作家は「伝統的にこの国の権力者達は、神棚に祀るものは天皇家でもレーニン家でも何でもよかった」と言っていましたが、その通りなのだろうと思います。
 マスコミ、知識人を含む官僚制エリートの精神構造も、未だここにあるというのが私の実感です。空虚な有り物(既成の統治構造)にすり寄り、こと寄せて虚飾や欲望の実現を図る。主が「アメリカ」だろうが何だろうが。
 ある文芸批評家はかつて、大衆の意識と実像(子を産み育て死んでいく当たり前の人生)を思想に組み込めという意味のことを言っていましたが、それはいまだ「宗教改革」なきこの国に生きる者の、実人生における課題でもあると感じています。実生活を人質に差し出し、制度的免罪符や空虚の尻を追う自分の否定という意味で。実のある理念・制度の源泉を形成するという意味で。
 百年河清をまつだとしても、実を伴うべき思想の課題は、絶えずここにあるのだろうと思います。

 話がはみ出てしまったようです。失礼致しました。