非組織独行

 昨日、国営放送で高木仁三郎を扱っていた。

 雇われサラリーマン・御用学者のたぐいに陥らず、原子物理学者として筋を通した彼が、どのような暮らしの基盤の上に生きていたのかは知らない。言えるのは、自分が真と思うものをし続けるには、頼らずすがらず生きるしかないということ。どんなにしんどくても。できれば嫁さん子供も泣かさずに。(これをやったら駄目なのだ。性根の基本が、根本が。)

 どうやって飯を食うのか。これに尽きている。我が身を振り返っても。

 貧乏人、無権威のものに人は洟もひっかけない。親族さえも。

 腐らず、手前勝手な正義に陥らず、自分以外の何ものもあてにしないで生きられるか。生きる気力があるか。「報われる。」 この種の幻想(助平根性)も一切捨てて。

 この種の幻想がどうしようもない自己矛盾(似非)というのは、暮らしの不安の中で自分を通そうとした者なら、必ず気が付く事実だ。自分自身についての。

 それでもやるの? あんた。

 生涯、この問いかけだけで十分。