一人ひとりが造物主

 一人ひとりが造物主。

 これは最近浮かんだ言葉だが、俺の長年の人間観の中核となるものだ。

 これは、だれにおいても人生の基軸だと俺は思っている。当人がどう思おうが。

 これは傲慢でも何でもない。生物としてのヒトの事実だ。

 何かを生み出す主体だから、人は人と関わりを持つ。奴隷に対してさえ。そうでなければ皆殺しするだろう。征服者達は。

 造物主。この意味において人は平等。というより並立的存在ということ。人はそれぞれ。百人いれば百様の創造主。

 その制度的な反映は、共和制だと俺は思っている。

 今流行りの自己責任なんて概念も、この中においてしか意味をなさない。何ものかが君臨する制度の下では、成り立ちようが無いからだ。人を押し黙らせる閉鎖的、権威主義的制度の下では。今のこの国の制度・精神風土は、密室で強要した証文を押し付ける詐欺師みたいなもの。

 この変革は必須だと思っている。制度においても、一人ひとりの内側においても。


(付記)

  「大衆は女のようなものだ。自由を支配してくれるものの出現を待っているだけで、自由を与えても戸惑うだけだ」(ヒトラー(ドイツ))。

 この言葉は今も当たっているが、乗り越えるしかない。民衆、庶民、人民の側が。どんなにしんどくても。