転載・コメント

 戦後のアメリカ的経済原理主義を嘆く記述への俺のコメント。

「私は農家の出、私のかつての仕事上の師匠は東京の下町の出でしたが、ある時、彼が農民をひどく憎んでいるのに気が付きました。敗戦前後の食糧難の時代、近郊農家に物々交換の品を散々買いたたかれたのが理由のようでした。手を引かれて付いて行き、嘆く親の姿を見たのでしょう。私の田舎には戦後の新円切り換えの時、いち早く情報を得たであろう旧華族系から紙屑同然の金をつかまされて泣いた者、「挙国一致」の関東軍に置き去りにされて子を売った者、腹を切った開拓団長がいます。アメリカ的経済原理(損得打算)はいつの時代も普通に存在し、刷り込み的な道徳・モラルは、刷り込んだ側においてさえ、それが有利に作用する時にのみ守られるのだろうという気がします。幕末・明治から戦前戦後の地域史は何度か掘り起こす機会がありましたが、人はいつも変わらず、過去が良かったということは無いのだろうというのが実感でした。」