隠す、誤魔化す、美辞麗句の不利益

 一般論としては当たり前なので、実践的経験だけを書く。

 我が家が今買うのは、肉は外国産だ。安いし、少なくとも放射能の心配は薄い。国産の場合は産地が明確なものだが、こいつは相当疑ってかかる。売っている店の体質、供給先の体質等々。

 この種のことには相当ゆるい嫁さんも、野菜を含め「あそこのものは怖いね」となる。「食べて応援」のたぐいの標語を見ると。産地偽装をその種の「正義」で正当化するのでは、という不安があるからとか。「無表示でつかえる惣菜やおにぎりなんか、絶対に止めた方がいいね」。俺もそう思い、そうしている。とりわけ一歳の孫が食べる時は。

 肉も野菜も果物も、外国産にはどんな農薬が使われているか分からないので、買わない傾向が俺にも以前はあった。だが国産も信用していた訳ではない。安心安全とやらの直売所のものですら、相当いい加減な農薬管理で作られたものがあると聞いたことがあるからだ。「高齢化した農家のやることなので、濃度も分量も、決められているはずの使用時期もいい加減」「その種の危ない野菜は農家も分かるので、残留農薬のチェックが入るところには出荷せず、フリーパスで売れる直売所へ出すことがある」等々。アメリカにおける牛豚への抗生物質投与が問題になった頃、知り合いの獣医は言った。「日本だって同じだぜ」。

 以上は、一消費者としての俺の体験、実践に過ぎない。だが隠すこと、誤魔化すこと、美辞麗句で事実を糊塗することが、総量としてどれほどの害悪を社会にばら撒くかは、ミクロの目からも明らかだと思っている。