面白いので引用

荻原魚雷さんという著述家の「文壇高円寺」というブログから引用。(御容赦)。

(※以下引用)

個人主義の発達した米国では各人が自己のなかにモデルをさがし求める傾向が強い。ルーニーは、そうした米国人一般の欲求にこたえるのに、うってつけのユニークな個性の持ち主であり、かつ自己の売り込み方を心得ている。というより、正直に自己を語れば、ユニークでない人なんていないのだから、誰にでも興味を持たれるはずだということを、よく承知しているのである》(『人生と(上手に)つきあう法』/鮎川信夫著『最後のコラム』文藝春秋

 しかし、正直に自己を語ることはむずかしい。自己を語ろうとすると、(自慢にせよ、卑下にせよ)どうしても装飾をほどこしてしまう。
 さらに「自己の感性の世界」を磨り減らしてしまうと、自己を語っているつもりが、他人に受け入れられやすい意見を述べているだけということにもなりかねない。

《考えて物を書くのは、ひどく孤独な作業である。自己惑溺のモノローグに似ている。が、内実はモノローグとは似て非なるものだ。書くという行為のなかで、自己はたえず分裂しつづけ、数かぎりなく他我を生み出す。その他我とのダイアローグを通じてしか、筆者の作業は進行しない。…》(「裁判を読む」/鮎川信夫著『私の同時代』文藝春秋

 (※以上)


 リアルというか面白い。観念的人生だと、堂々巡りになる。