夜明けの馬鹿話

 職安と求人広告で拾った仕事の中には、雑文作りもある。

 先日、大学の先生の市民向けの放射能講演会があったので、地域の実情を聞こうと出かけた。

 先生は、この田舎にも結構な量の放射能が降ったのを、ほとぼりの醒めた頃にマスゴミに出した御仁だ。

 調べたこと程度は言うだろうと思い、事前にばったり出くわしたので聞いてみたら、「いえ、あれはその…」と言葉を濁した。

 それでもと思い聞いてみたら案の定、出てきた話は高校レベルの放射能概論と、3月4月に宣伝された安全データのオンパレードだった。それも「中央」制作のパンフレットの棒読み。

 安全神話なるものも、自前で調べた地元データに拠ってりゃ聞きようはあった。律儀に最後まで聞いたのだが、時間が空回りしただけ。

 先生は講演のあと、たまたま後ろに座ってた俺と目が合って「すみません」と弱気に言った。

 、そんなこと言うめえ。言ったことに意味があると思えば。馬の骨相手に、プライド百人前の職業人が。

 第一これほど失礼なことはねえ。「中央」発のカビ生えた公式見解をのこのこ聞きに来る奴なんて、今どきいない。

 毎度感じることだが、マスゴミ、センセイ等々の旧体制の知識人(知識人なんて用語自体、陳腐化してるんだけどね)の脳みそはほんとズレてる。大本営発表・公式見解の洗脳が、庶民共に今でも通用するとほんとに思ってるんかね。

 センセイ、実はそこまで馬鹿じゃないから、たまたま関わっちまった俺に弱気になったんだろう。

 御身大切ということ。

 20年ほど前に俺は、役人のこの手の弱気をかわいいもんとうかつに思い、ひでえ目に遭ったことがある。

 相手にだって人生、暮らしはある―。 この気遣い・甘さを逆手に取って策謀働かせ、俺は田舎テレビの孫請け仕事を放り出された。

 俺の方の人生・暮らしはどうしてくれるのなんて言う暇も無く、ゴミ箱漁るしか無くなった。嫁さんと子供の暮らし抱えて。

 柔和や弱気を人のよさや善意と勘違いしたら、ひでえ目に遭うという馬鹿ばかしいお話。