文学の可能性

 真っ暗けな雪ん中、ストレッチしてて思い出した。

 文学ってのは唯一、識者に訴えなくても食うことが可能な言葉屋世界だった。売れたらの話だとしても。横槍はいろいろ入るにしても。(ほかの言葉屋世界は、横槍だけで食えなくなる)。

 文学の可能性ってのは、常にここにあった。それは多分、今も変わらない。

 識者に頼らなくても、食ってける言葉。これを作れるか。一発屋的スタンドプレーじゃない場所で。

 これが一番の難問だ。

 持続しないからね。人間の、暮らしの根底から汲まないと。

 徒食者じゃ駄目なのだ。性根が。出版屋の商策とつるむがせいぜい。

 これが出来りゃ、そいつは自立の思想家になる。



(付記)
 
 体当たり人生。これは文学なんて、辺ぴな世界の話だけじゃない。

 
 何よりも先ず、俺自身の課題。死ぬまで。